大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 昭和63年(く)55号 決定

主文

本件即時抗告を棄却する。

理由

本件即時抗告の趣意は、申立人作成の即時抗告申立書、弁護人上田國廣外四名共同作成の即時抗告申立書、同弁護人外三名共同作成の一九九〇年一一月一三日付け意見書及び同弁護人作成の即時抗告理由補充書(申立人作成の即時抗告理由補充書添付のもの)各記載のとおりであるから、これらを引用する。

なお、以下、「所論」というときは、右各書面における主張のほか、申立人作成の平成七年一月二三日付け意見書及び上田弁護人外六名共同作成の同月三一日付け意見書における主張を含む。

第一  原裁判所の審判手続等に関する主張について

一  所論は、要するに、〈1〉原裁判所は、検察官が提出した石油ストーブ二台(原庁昭和六〇年押第三七五号の一三及び一四)を、B(以下「B」という。)作成の鑑定書甲及び同乙(以下「鑑定書甲」「鑑定書乙」という。本件再審請求事件記録[以下「本件記録」という。]別冊)における各燃焼実験に使用した石油ストーブとして取り調べた上、同人に対する証人尋問及びこれに反論を加えるC(以下「C」という。)の証人尋問を実施したが、その後原裁判所に提出された検察官作成の昭和六三年九月一日付け証拠説明書(本件記録七冊一三六丁)により、鑑定書甲における燃焼実験(石油ストーブを井桁の中に直立させて火炎中に放置した実験)に使用した石油ストーブは既に廃棄されており、検察官が右実験に使用した石油ストーブであるとして原裁判所に提出したもの(同押号の一三)は、Bが右各燃焼実験とは別に、石油ストーブを井桁の中に前傾させて火炎中に放置した補充実験に使用したものであることが判明した(以下「所論指摘の過誤」という。)のであるから、原裁判所が実施したB及びCに対する各証人尋問の手続は無効であって、原裁判所の審判手続には重大な違法がある旨、〈2〉右のとおり、原裁判所に提出された石油ストーブ(同押号の一三)が鑑定書甲における燃焼実験に使用したものでなかったことが判明したのに、原裁判所は、改めて申立人に意見を聴くことなく、申立人からの再審請求(以下「本件再審請求」という。)を棄却する決定(以下「原決定」という。)をしたものであって、このような原裁判所の審判手続は刑訴規則二八六条に違反する旨、主張する。

そこでまず、〈1〉の点について検討するに、右証拠説明書等の関係証拠によれば、所論指摘の過誤があったことが認められる。しかしながら、そうだからといって、原裁判所が適法に実施したB及びCに対する各証人尋問の手続が遡って違法になるとか、無効になるというものではない。所論指摘の過誤は、B及びCに対する各証人尋問の内容の信用性を検討するに当たって考慮すれば足りると考えられるのであって、所論は採用できない。

次に、〈2〉の点について検討するに、刑訴規則二八六条は、「再審の請求について決定をする場合には、請求をした者及びその相手方の意見を聴かなければならない。」と規定しているところ、それは、裁判所をして再審請求人及びその相手方の意見を十分参酌して慎重に再審開始の要否を判断させようとした趣旨と解される。したがって、原裁判所としては、昭和六三年五月一〇日に申立人、弁護人及び検察官からそれぞれ意見書の提出を受けていたとしても、その後、検察官から右証拠説明書の提出を受け、所論指摘の過誤があったことが判明した以上、本件再審請求について決定するに当たっては、刑訴規則二八六条に従い、改めて申立人らに意見を求める手続を覆践するのが相当であったと考えられる。しかしながら、記録によれば、原裁判所は、検察官から右証拠説明書が提出された翌日、上田主任弁護人に対し、「本件で押収している石油ストーブ等に関し検察官より証拠説明書が提出されたので、これについて意見があれば、昭和六三年九月二二日までに文書で意見を提出してください。」との求意見書(本件記録七冊一三九八丁)を交付し、同月二〇日付けで同主任弁護人外一名共同作成の意見書(本件記録七冊一四〇三丁)が原裁判所に提出されていることが明らかであるところ、再審請求事件における弁護人は再審請求人の利益を擁護するために選任されていること、所論指摘の過誤が判明する以前とはいえ、申立人からも同年五月一〇日に意見書(同年三月二二日付けのもの)が提出されていたこと、原裁判所は、申立人が右意見書を作成する前である同年二月五日の第一六回事実調べ期日以後格別の事実取調べをしていないことを併せ考えると、所論指摘の過誤が判明した後、原裁判所が、弁護人に対してのみ意見を求め、申立人に対して特に意見を求めなかったからといって、その手続が刑訴規則二八六条の前記趣旨に反して違法であったとまではいえず、所論は採用できない。

二  所論は、要するに、〈1〉申立人に対する福岡地方裁判所昭和四二年(わ)第二五号強盗殺人、同未遂、放火被告事件につき昭和四三年一二月二四日同裁判所が宣告した有罪判決(以下「確定判決」という。)は、同裁判所が昭和四二年三月一〇日の第一回公判期日において取り調べた福岡県警察本部犯罪科学研究所技術吏員D(以下「D」という。)作成の昭和四一年一二月一七日付け鑑定書(以下「D鑑定書」という。確定記録三冊四七一丁)を「証拠の標目」に掲げておらず、その信用性を否定したと考えられるのに、原決定は、本件再審請求を棄却するに当たり、D鑑定書を積極的に引用しているのであって、このような原決定は違法であり、取消しを免れない旨、〈2〉確定判決は、申立人らがマルヨ無線株式会社川端店(以下「マルヨ無線」という。)の営業部事務室に放火した方法(以下「本件放火の方法」という。)について、申立人が「侵入前から点火されていた同事務所内の暖房用石油ストーブ(以下「本件ストーブ」という。)を、火焔の部分を覆っていた金属性網(以下「ガード」という。)を取り外した上で、反射鏡が上になり火焔の部分が下になるように足蹴りにして横転させ」たと認定しているのに、原決定は、本件放火の方法について、「本件ストーブが当初からその状態(「前面扉を床面に接した状態で静止している状態」を指すと理解できる。)に静かに置かれたか、もしくは、前傾状態で何らかの物(たとえば机の脚等)に倒し掛けたところ、その後ストーブ自体の重さや、立て掛けられた物の燃焼の進行により次第に傾斜を深めていき、前面扉を床面に接する状態になったところで止まったかのいずれかである」とか、本件ストーブの「裏蓋の上に足を置くようにして押し、机に向かって倒し掛けるようにすれば、裏蓋は開かず、またストーブの受ける衝撃も小さくて済ませることも不可能とはいえ」ないと説示して、本件放火の方法を具体的に確定していないだけでなく、確定判決とは異なる放火の方法を認定しており、このような原決定は違法であって、取消しを免れない旨、主張する。

そこでまず、〈1〉の点について検討するに、確定判決がD鑑定書を「証拠の標目」に掲げなかった理由は必ずしも明らかではないが、同鑑定書の内容は、確定判決が本件放火の方法として認定した事実と矛盾するものではなく、かえってそれを補強していること、後述する(後記第三の二参照)ように、確定判決は、「罪となるべき事実」を認定するに当たって必要最小限度の証拠を「証拠の標目」に掲げていることからすれば、確定判決がD鑑定書を「証拠の標目」に掲げなかったのは、「罪となるべき事実」を認定する証拠としては「証拠の標目」に掲げた申立人の自白等だけで必要かつ十分であると判断したからと理解されるのであって、所論のようにD鑑定書の信用性を否定した趣旨とは考え難い。また、刑訴法四三五条六号にいう「あらたに発見した」証拠(以下「新証拠」という。)が、同号にいう「有罪の言渡を受けた者に対して無罪を言い渡し」「又は原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき明らかな証拠」に当たるかどうかを判断するに当たっては、「もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、はたしてその確定判決においてなされたような事実認定に到達したであろうかどうかという観点から、当の証拠と他の全証拠と総合的に評価して判断すべきであ」ると解されている(最高裁昭和五〇年五月二〇日第一小法廷決定・刑集二九巻五号一七七頁参照)ところ、ここにいう総合的評価をするに当たっては、新証拠や、確定判決が「証拠の標目」に掲げていた証拠のほか、たとえ確定判決の「証拠の標目」に掲げられていなかったとしても、その審理中に提出されていた証拠、更には再審請求の審理において新たに提出された他の証拠の全てをその検討の対象にすることができると解される。したがって、原決定が、確定判決の「証拠の標目」に掲げられていなかったD鑑定書を検討してその信用性を認めた上、本件再審請求において申立人が援用したCに対する各証人尋問の結果(以下「C証言」という。)及び同人作成の「東芝KV202石油ストーブ実験結果のまとめ」と題する書面(本件記録三冊及び四冊、以下「C実験」という。)の信用性を否定したからといって、原判決に何ら違法な点はなく、所論は採用できない。

次に、〈2〉の点について検討するに、刑訴法四三五条六号に基づく再審請求においては、再審請求人が提出した新証拠が「有罪の言渡を受けた者に対して無罪を言い渡し」「又は原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき明らかな証拠」に当たるかどうかを判断すれば足りるから、再審請求の理由があるかどうかを判断する前提として常に具体的な事実を認定しなければならないわけではない。したがって、原決定が、本件再審請求を棄却するに当たり、本件放火の方法についての説示を所論指摘の程度にとどめ、その具体的な方法を明確に認定しなかったからといって、それが不確定であって違法であるとはいえない。また、再審請求の審判においても、「疑わしいときは被告人の利益に」の原則が適用される(前記最高裁昭和五〇年五月二〇日第一小法廷決定参照)とはいえ、新証拠を他の全証拠と総合的に評価しても「有罪の言渡を受けた者に対して無罪を言い渡し」「又は原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき」ことが明らかであるとはいえない場合には、再審請求は理由がないことに帰すること、ここにいう「原判決において認めた罪より軽い罪」とは、「原判決が認めた犯罪よりその法定刑の軽い他の犯罪」をいうと解されること(最高裁昭和二八年一〇月一五日第一小法廷決定・刑集七巻一〇号一九二一頁参照)からすれば、再審請求の審判においては、確定判決の認定した犯罪事実と全く同一の事実を認定することができない場合であっても、確定判決の認定した犯罪事実と同一の構成要件に該当する事実や、確定判決の認定した犯罪事実よりも法定刑が軽くない他の構成要件に該当する事実を認定でき、かつ、それらの事実が確定判決の認定した犯罪事実と公訴事実の同一性を保っていると認められる場合には、結局、再審請求は理由がないことになると解される。これを本件についていえば、本件再審請求の審理において新たに提出された証拠を、確定判決の審理中に提出されていた全証拠と総合的に評価した結果、本件放火の方法について、確定判決の認定したとおりの犯罪事実、すなわち申立人が本件ストーブを「反射鏡が上になり火焔の部分が下になるように足蹴りにして横転させ」たとの事実を認定できなくても、後述する(第三の二、三参照)確定判決の証拠構造による制約に従い、少なくとも申立人が、確定判決の認定した強盗殺人、同未遂の現場において、本件ストーブを故意に転倒させ、その火を机等に燃え移らせて放火したとの事実を認定することができれば、もはや申立人に対して「無罪を言い渡し」「又は原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき」ものということはできないから、原決定が、本件放火の方法について、確定判決が認定した犯罪事実と必ずしも同じとはいえない内容を説示して本件再審請求を棄却したからといって、原決定の判断方法に誤りがあるとはいえず、所論は採用できない。

三  所論は、要するに、〈1〉原裁判所での事実取調べの結果によれば、確定判決において申立人が足蹴りにして横転させたとされている本件ストーブと同型の石油ストーブ(以下「同型ストーブ」という。)を足で蹴り倒した場合には裏蓋が開いて補給タンクが外れることが明らかになったので、第一六回事実調べ期日(昭和六三年二月五日)において、弁護人が、同型ストーブの形状、性質及び足蹴りによる転倒の可否、並びに同型ストーブを転倒させたときの裏蓋及び補給タンクの脱落の有無を確認するために検証を申し立て、検察官も「然るべき」の意見を述べていた(本件記録六冊一二五八丁)のに、原裁判所は、右申立てに応答することなく、マルヨ無線で火災が発生した当時(以下「本件火災発生当時」という。)本件ストーブは前面扉を床面に接した状態で静止した姿勢にあったと認定して本件再審請求を棄却しており、このような原裁判所の審判手続には審理不尽の違法がある旨、〈2〉Bは、原裁判所において、石油ストーブは三台しか存在しなかったので十分な実験をすることができなかった旨証言していたところ、その後検察官作成の前記証拠説明書において、Bが四台目の石油ストーブを利用して補充実験をし、偽証していたことが判明していたのであるから、同実験の目的、経過、結果を明らかにしない限り、同人作成の鑑定書甲及び同乙の信用性を判断することはできないのに、原裁判所は、弁護人から出されていたBに対する再度の証人尋問の請求を排斥しただけでなく、鑑定書甲及び同乙における各燃焼実験の結果を大幅に採用して本件再審請求を棄却しており、このような原裁判所の審判手続には審理不尽の違法がある旨、〈3〉本件ストーブは、修理のため客から預かっていたもので、E(以下「E」という。)らは本件火災発生当時その修理を終えて試運転中であったから、本件ストーブの故障箇所やその原因、修理完了の有無等について検討しなければ、本件ストーブが異常燃焼を起こす可能性はなかった、とはいえないのに、原裁判所は、その究明を求める申立人の申し出に応答することなく、本件再審請求を棄却しており、このような原裁判所の審判手続には審理不尽の違法がある旨、〈4〉原裁判所は、弁護人から出されていたF(以下「F」という。)、E、G(以下「G」という。)、Dに対する各証人尋問の請求を採用せず、本件再審請求を棄却しており、このような原裁判所の審判手続には審理不尽の違法がある旨、主張する。

そこで検討するに、そもそも再審請求の審判においては、通常の刑事手続のような対審構造をとっておらず、再審請求人や弁護人、検察官に証拠調べの請求権が認められているわけではないから、再審請求人らがする証拠調べの請求は、あくまでも再審請求を受けた裁判所に対して職権の発動を促すものにすぎない。そして、再審請求を受けた裁判所においては、合理的な裁量により、再審請求の理由の有無を判断するに当たって必要な限度において事実の取調べを実施すれば足りると解される(最高裁昭和二八年一一月二四日第三小法廷決定・刑集七巻一一号二二八三頁参照)。これを本件についてみるに、〈1〉の点についていえば、原裁判所は、第一六回事実調べ期日において、所論指摘の弁護人からの検証の申立てを含め、それまで弁護人から出されていた全ての証拠調べ請求について職権の発動をしないこととし、同期日に出頭していた弁護人及び検察官に対して「取調べない」旨を告知していることが明らかである(本件記録六冊一二五八丁、なお、同期日の調書は、同期日に出頭していなかった申立人には送達されていないが、裁判所としては、本来職権の発動をしない旨の決定を申立人に送達すべき義務はない上、同期日には弁護人が出頭していたのであるから、原裁判所の右措置に何ら違法な点はない。)。しかも、原裁判所は、弁護人及び検察官からそれぞれ証拠として提出されていた同型ストーブ二台(同押号の一及び一二)を押収していたこと、弁護人が申し立てていた検証は、特別の装置や高度な技術が必要なわけではなく、原裁判所としては、いつでも押収してある同型ストーブを利用して事実上実施することができたと考えられること、また、再審請求における事実の取調べにおいては、再審請求人や弁護人、検察官に立会権が認められているわけではないことをも考え併せると、原裁判所が、弁護人からの検証の申立てに対して職権の発動をしなかったからといって、それが合理的な裁量権の範囲を逸脱した違法なものであったとはいえない。次に、〈2〉の点についていえば、所論指摘の過誤が判明したことにより、Bの原審証言(以下「B証言」という。)や同人作成の鑑定書甲及び同乙の信用性については、より慎重に検討する必要が生じたといえるものの、所論のように、補充実験の内容等が明らかにならない限り、B証言等の信用性について判断できないとはいえない。したがって、原裁判所が、弁護人から出されていたBに対する再度の証人尋問の請求に対して職権の発動をせず、同人に対する再度の証人尋問を実施しなかったからといって、それが裁量権の範囲を逸脱した違法なものであったとはいえない。更に、〈3〉の点についていえば、所論が主張する申立人の申し出は、証拠調べの方法等を明確にした上で事実の取調べを求めたものではなかったのであるから、原裁判所がそのような申し出に応答せず、職権の発動をしなかったからといって、それが裁量権の範囲を逸脱した違法なものであったとはいえない。また、〈4〉の点についていえば、Gについては既に原裁判所において必要な事実の取調べが実施されていた上、人の記憶は、本人が意識すると否とにかかわず、時間の経過によって消失したり変容したりするのが常であることからすれば、既に事件発生から二〇年以上も経過した時期に改めてFらの証言を求めてもその信用性を十分に担保できるだけのものがあるとは考えられないことからすれば、原裁判所が、弁護人から出されていたFらに対する各証人尋問の請求に対して職権の発動をしなかったからといって、それが裁量権の範囲を逸脱した違法なものであったとはいえない。以上のとおりであって、原裁判所の審判手続につき審理不尽を主張する所論はいずれも採用できない。

第二  刑訴法四三五条一号及び七号の事由に関する主張について

所論は、要するに、原決定は、Gらが、マルヨ無線の火災現場(以下「本件火災現場」という。)で発見された時の本件ストーブの傾斜角度と明らかに異なる状況を作り出し、同人作成の昭和四一年一二月一〇日付け実況見分調書添付の写真七四号(確定記録一冊一六六丁)をねつ造したのは職務犯罪に該当する旨の申立人の主張を排斥するに当たり、「右実況見分調書及び技術吏員D作成の鑑定書並びに当裁判所の証人Gに対する尋問調書によると、右写真74号は、実況見分にあたった警察官らが現場の状況及び本件ストーブの状況(殊に後記合金の滴下痕等)から転倒状況を合理的に推認して復元したものと認められ」る旨説示しているが、Gらが実況見分を実施した当時、本件ストーブの前面扉の網目部分に付着していた合金の溶融痕からストーブの姿勢を推認したD鑑定書の内容はいまだ明らかになっていなかったのであるから、原決定には事実の誤認がある旨主張する。

なるほど、関係記録を調べても、Gらが実施した実況見分にDが関与したことを認め得るだけの証拠は存在しないこと、また、右実況見分が昭和四一年一二月六日から翌七日にかけて実施されているのに対し、D鑑定書における燃焼実験は同月九日に実施され、同鑑定書は同月一七日付けで作成されていることを考え併せると、所論指摘の写真に撮影されている石油ストーブの復元が、D鑑定書指摘の合金の溶融痕をもとに行われたとみることには問題がないわけではない(但し、後述する[第三の五の1参照]ように、D鑑定書に添付されている写真一号ないし同四号は、本件火災現場で撮影された蓋然性が高く、そうだとすると、原決定の説示に誤りがあるとまではいえない。)。しかしながら、右実況見分調書を作成したGの原審証言(本件記録一冊一〇二丁)及び同調書添付の写真を撮影したHの原審証言(本件記録一冊一二九丁)によれば、所論指摘の写真は、本件ストーブ付近の落下物等を取り除いた状況を撮影した同調書添付の写真六六号(確定記録一冊一五八丁)を撮影した二、三時間後に撮影されたものであり、本件火災現場にあった落下物等を完全に取り除いた上、一緒に出動していた警察官らにおいて協議しながら、記憶に基づき本件ストーブの発見時の状況を復元し、写真撮影を行ったものと認められること、しかも、所論指摘の写真七四号が貼付してある台紙には「石油ストーブ復元」との説明が付されていることからすれば、右写真における石油ストーブの復元状況が本件ストーブの発見時の状況と多少異なっているからといって、Gらの行為が証拠をねつ造したものであるとか、何らかの職務犯罪を構成するものであるとはいえない。そうすると、これと同趣旨の原決定の結論は正当であって、結局、所論は採用できない。

第三  刑訴法四三五条六号の事由に関する主張について

所論は、要するに、確定判決は、申立人が、本件ストーブを「反射鏡が上になり火焔の部分が下になるように足蹴りにして横転させ」、マルヨ無線の営業部事務室に放火した旨認定しているが、申立人らが刑訴法四三五条六号の新証拠として援用したC証言及びC実験等によれば、本件火災発生当時本件ストーブは直立した状態にあって、転倒していなかったことが明らかになったから、これらの新証拠が同号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に当たらないとした原決定の判断には誤りがある旨主張する。

しかしながら、C証言及びC実験の内容については、原決定が説示するような問題点があり、これを原裁判所に提出された他の証拠とともに、確定判決を下した裁判所(第一審裁判所のほか、控訴審裁判所、上告審裁判所も含む。)に提出されていた全証拠、更に当裁判所において実施した二回にわたる検証の結果と総合的に評価しても、いまだC証言及びC実験等の新証拠が、確定判決の認定した放火に関する事実について合理的な疑いを抱かせ、その認定を覆すに足りる蓋然性ある証拠ということはできず、この点に関して原決定が説示する内容も、その基本的部分については、当裁判所もこれを正当として是認することができる。したがって、原決定の結論に誤りがあるとはいえない。

以下、所論に鑑み敷衍する。

一  確定判決が認定した放火に関する犯罪事実の要旨は、次のとおりである。すなわち、申立人は、Fと共謀の上、昭和四一年一二月五日午後一〇時ころ、福岡市下川端町(当時)所在のマルヨ無線に押し入り、その営業部事務室において、宿直員I(以下「I」という。)及びEに対し玩具の拳銃及び登山用ナイフを突きつけ、Iの頭部を小型ハンマーで強打するなどしてその反抗を抑圧し、現金合計二二万一〇〇〇円等を強取するとともに、Eの首を電熱器用コードで締め上げ、E及びIの頭部等を右小型ハンマーで殴打するなどの暴行を加えて右両名に瀕死の重傷を負わせた上、「かねての計画どおり、右マルヨ無線株式会社川端店(木造瓦葺二階建店舗)に火を放って焼燬し、右宿直員両名を窒息死、或いは焼死させて犯跡を隠蔽しようと企て、相互に相手の意を察して、Fが同事務所内の棚に積み上げられていた商品のカタログ紙を多数取り出して同室内一面にまき散らし、被告人(「申立人」を指す。以下同じ。)は侵入前から点火されていた同事務所内の暖房用石油ストーブを、火焔の部分を覆っていた金属性網を取り外した上で、反射鏡が上になり火焔の部分が下になるように足蹴りにして横転させ、Fに命じて右石油ストーブの火焔が同事務所内の机等に伝火している事実を確認させた上で同人とともにその場から逃走し」、右放火行為によってIらが現在する同店を半焼させるなどして焼燬するとともに、同人を高度の脳挫傷の傷害と一酸化炭素中毒によりその場で死亡させて殺害したが、Eに対しては加療約五か月を要する陥没骨折を伴う前額部、右側頭部の各挫創等の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかった、というものである。

二  次に、確定判決の基礎となった証拠構造をみるに、申立人は、確定判決を宣告した第一審裁判所の審理では、本件再審請求の対象となっている放火の事実をも含め、「全部そのとおり間違いありません。」と述べて(確定記録一冊二四丁)全ての公訴事実を認めていたこともあって、確定判決自体は、いかなる証拠判断に基づき前述した(第三の一参照)本件放火の方法を認定したのかを具体的に説示していない(なお、申立人は、確定判決の控訴審及び上告審においては、放火の故意を争っていた。控訴審裁判所での主張の要旨は、「金も思うようになかったので、カッとなって机の上にあった書類等を手で払いのけ、そばにあったストーブを蹴った。ストーブを蹴るについては蹴ってひっくり返して燃やそうなどということは全然考えていなかった」[第二次再審請求である福岡地方裁判所昭和四九年(た)第一号再審請求事件記録中の控訴趣意書]というものであり、上告審裁判所でのそれは、「出火原因は、被害者等と乱闘の際、誤って石油ストーブが転倒したためである」[確定記録六冊一七二一丁]とか、「被告人が放火した事実はなく、出火原因も知らないが」、「出火原因は、犯行現場において起こった不慮の事故によるもので、被告人等の計画に基づく放火ではなく、何らかの作用で石油ストーブが転倒して出火したものであるから、被告人の放火ではない」[確定記録六冊一七三一丁、一七三二丁]というものであった。なお、控訴審判決も上告審判決も、申立人の主張を排斥した理由について具体的に説示していない。前記第二次再審請求事件記録中の各判決書参照)。

そこでまず、確定判決が「証拠の標目」に掲げた各証拠をみると、マルヨ無線において火災があった事実(以下「本件火災」という。)を裏付ける証拠としては、G作成の実況見分調書(確定記録一冊六四丁)のほかJ、K、L、M、N作成の各被害届(確定記録二冊四一五丁ないし四三九丁)が掲げられており、また、本件火災が申立人及びFの放火行為に基づくものであることを裏付ける証拠としては、申立人の昭和四一年一二月二八日付け警察官調書(確定記録四冊六六七丁)、昭和四二年一月一三日付け検察官調書(確定記録四冊七三五丁)、同月一四日付け検察官調書(確定記録四冊七五六丁)、第一回公判期日での供述(確定記録一冊二四丁)及び、Fの昭和四一年一二月一一日付け警察官調書(確定記録四冊七七六丁)、同月一五日付け警察官調書(確定記録四冊八三四丁)、同月二一日付け検察官調書(確定記録四冊八八九丁)、同月二二日付け検察官調書(確定記録四冊九〇四丁)、昭和四二年一月七日付け検察官調書(確定記録四冊九一一丁)、同月一三日付け警察官調書(確定記録四冊八八二丁)、同月一七日付け検察官調書(確定記録四冊九二〇丁)、第一回公判期日での供述(確定記録一冊二四丁)が、更に申立人及びFの放火行為に関する自白を裏付ける証拠としては、Eの検察官調書二通(確定記録二冊三七五丁、三八四丁なお、確定判決が「Fの検察官に対する供述調書三通」と記載しているのは「Eの検察官に対する供述調書二通」の誤記と考えられる。)、P作成の同年三月三〇日付け鑑定書(確定記録五冊一一五七丁)がそれぞれ掲げられている。しかしながら、これら申立人及びFの各供述の内容を具体的に検討すると、本件放火の方法について、申立人は、「申立人とFの二人が、棚などに積んであったカタログ等の紙類を部屋一面にばら撒いた上、申立人が、その場で、本件ストーブのガードを取り外し、右足で反射鏡の背中当たりを蹴って炎の部分を下にしてひっくりかえした」旨(昭和四二年一月一四日付け検察官調書・確定記録四冊七六〇丁以下、昭和四一年一二月二八日付け警察官調書・確定記録四冊六八五丁以下も基本的には同旨)述べていたのに対し、Fは、「申立人が、本件ストーブのガードを取り外してから約一メートル位抱えてきて机の脚に斜めに置き、机が燃えるような状態にしたので、Fも部屋一杯に広告用紙をばら撒き、手袋を本件ストーブに投げ込んで燃やした」旨(同月一一日付け警察官調書・確定記録四冊七九八丁以下)、「Fが血の付いた手袋を本件ストーブに投げ入れると、申立人が、本件ストーブのガードを取り外して移動させ、燃えている方を机の脚に付けて置いたので、Fも広告用紙を掴んで部屋の中に撒いた」旨(同月一五日付け警察官調書・確定記録四冊八四七丁以下)、「Fと申立人が血の付いた手袋を本件ストーブに投げ込んだ後、申立人が、本件ストーブのガードを取り外して移動させ、机にもたせかけ、炎が机に届くようにしたので、Fが棚から広告用紙を取り出して部屋一杯に撒き散らした」旨(同月二一日付け、同月二二日付け、昭和四二年一月七日付け各検察官調書・確定記録四冊九〇二丁、九〇五丁以下、九一六丁以下)、「Fが手袋を本件ストーブに放り込んだ後、棚の上に置いてあったカタログ等を部屋一杯にばら撒いた。但し、手袋を本件ストーブに投げ込んだのと、紙を部屋にばら撒いたのと、そのいずれが先かやや曖昧である。その後申立人が、本件ストーブを抱えて机の傍らに移動させ、机の脚に立て掛けたか、床の上に横転しにした」旨(同月一七日付け検察官調書・確定記録四冊九二〇丁以下)述べるものであって、必ずしも完全に一致した内容とはなっていない。しかし、第一審裁判所における第一回公判期日での申立人及びFの供述は、起訴状記載の放火に関する事実(その内容は、「被告人両名は共謀の上、被告人Aのもと稼働先であった……マルヨ無線……に押入り宿直員を殺害して金品を強取したうえ、同店舗に放火して罪跡を隠蔽しようと企て、……さらに被告人Aにおいて同事務室内で点火燃焼中の暖房用石油ストーブの火焔の部分を覆った金属製格子囲いを取り外した上、右ストーブの反射鏡を上方になるようにしてその場に横倒しにして同室の床に放火し」たというものである。確定記録一冊一丁)をも含めて、起訴事実を全面的に認めたものであった(但し、Fは、同人自身がI及びEの頭部を殴ったのは一回だけである旨の主張をしていた。確定記録一冊二四丁)上、裁判長自ら、申立人及びFに対し、各人の警察官調書及び検察官調書について、「供述人の署名指印は君がしたのか。」「調書はその都度読んでもらったか。」「述べたとおり書いてあったか。」「調べに際し、脅かされたり乱暴されたりしたことはなかったか。」「初めから進んで述べたか。」「無理に述べさせられたことは全然ないのか。」などと問いかけ、申立人及びFも、捜査官に脅されたり乱暴されたりしたことはなく、事実は自ら進んで述べ、調書も読んでもらって述べたとおり書いてあったので署名指印した旨の供述をしていたこと(確定記録一冊二九丁、三三丁)、更に、申立人及びFの前述各供述も、申立人及びFがマルヨ無線の営業部事務室内にカタログ等の広告用紙を部屋一杯に撒き散らした上、申立人が本件ストーブを故意に転倒させ、その火を机等に燃え移らせて放火したという基本的な部分においては一致しており、その信用性を肯認することができると考えられたことから、確定判決は、本件放火の方法について、申立人の前記警察官調書及び前記各検察官調書に従い、「火焔の部分を覆っていた金属性網を取り外した上で、反射鏡が上になり火焔の部分が下になるように足蹴りにして横転させ」て放火したとの事実を認定、判示したものと推認することができる。

しかも、確定判決が「証拠の標目」に掲げている証拠は、実際に第一審裁判所において取り調べられた全証拠の量に比べて極めて少ないことからすれば、確定判決は、取り調べた全証拠の中から、「被告人の経歴及び本件犯行に至る経緯」並びに「罪となるべき事実」を認定するのに必要最小限度の証拠だけを「証拠の標目」に掲げたものと考えられる。したがって、確定判決が、「証拠の標目」に掲げていない証拠について、その信用性を否定したということはできず、「罪となるべき事実」において認定した事実と矛盾しない証拠については、確定判決も、その信用性を認めていたものと推認することができる。このような観点から確定記録中にある証拠を検討すると、本件火災が申立人及びFの放火行為に基づくものであることを裏付ける証拠としては、同人の昭和四一年一二月一〇日付け自首調書(確定記録四冊七七一丁)、同月一三日付け警察官調書(確定記録四冊八一四丁)、同月一四日付け警察官調書(確定記録四冊八二〇丁)があり、申立人及びFの放火行為に関する自白を裏付ける証拠としては、D鑑定書、Eの昭和四一年一二月五日付け警察官調書(確定記録二冊三五一丁)、同月六日付け警察官調書(確定記録二冊三五四丁)、Sの同月一〇日付け警察官調書(確定記録二冊三三一丁)、Qの同月六日付け警察官調書(確定記録三冊六六〇丁)等がある。これらの各証拠は、いずれも基本的には確定判決が「罪となるべき事実」において認定した事実と符合する内容のものであることからすれば、確定判決は、「証拠の標目」に掲げた前記各証拠のほか、これら確定記録中にある証拠についても一体として、放火に関する前記犯罪事実を認定したものと考えることができる。

三  ところで、本件再審請求において申立人が援用する新証拠のうち、C証言及びC実験の内容は、本件火災発生当時本件ストーブが直立した状態にあったと主張するものであり、その信用性を認めることができれば、まさに刑訴法四三五条六号にいう「無罪を言い渡すべき明かな証拠」に当たることになるが、本件再審請求を受けた原裁判所及び当裁判所が実施した事実取調べの結果によれば、確定判決の認定した本件放火の方法について誤認の疑いが出てきたので、まず、この点について検討する。

すなわち、本件放火の方法について、確定判決は、前記のとおり、申立人が、本件ストーブの「反射鏡が上になり火焔の部分が下になるように足蹴りにして横転させ」、その火を机等に燃え移らせて放火した旨認定していることが明らかであるところ、本件ストーブと同型のストーブ二台(前同押号の一、一二)を使用して当裁判所が実施した検証(第二回)において、同型ストーブの背面を足で蹴って前方に転倒させ確定判決の認定したような姿勢をとらせようとしても、同型ストーブは床面を前方に滑るだけで転倒することはなかったこと(実験三、四、九、一〇参照)、このことは、原裁判所においてBが、鑑定書乙における燃焼実験をするための予備実験として、同型ストーブを足で蹴って前方に転倒させる実験を一〇回ほど行ったが、同型ストーブは床面を滑るだけで転倒しなかった旨証言していたこと(昭和六一年六月一七日の事実調べ期日での証言四六項、四七項[以下「昭和六一年六月一七日四六項、四七項」と表示する。]・本件記記録五冊九〇九丁以下)にも符合していること、しかも、この実験結果は、本件ストーブが、その上方に力が加わっただけでは容易に転倒しないように重心を低く設計されていることに基づくものと推測されることからすれば、本件ストーブを「足蹴りにして横転させ」た旨の確定判決の認定には合理的な疑いが生じたといわざるを得ない(なお、C証言[昭和六〇年一〇月二九日四九項・本件記録二冊五九〇丁以下]によれば、同人らは足を使って同型ストーブを前方に転倒させる実験を行っていることが認められるが、その時の実験を撮影した写真[本件記録三冊七〇三丁]をみると、右実験は、土の上に毛布を敷いて行っていることが明らかであって、木細工板が張ってあった本件火災現場の状況[G作成の実況見分調書・確定記録一冊六九丁参照]とは異なっており、右C実験の結果を参考にすることはできない。)。この点に関し、原決定は、確定判決の認定した「『蹴倒す』という言葉は、強く蹴跳ばす場合に限らず、足を使って押すようにして倒しかける場合も含まれると解されるのであって、机に放火する手段としては、たとえば、裏蓋の上に足を置くようにして押し、机に向かって倒し掛けるようにすれば、裏蓋は開かず、またストーブの受ける衝撃も小さくて済ませることも不可能とはいえ」ないと説示している。しかしながら、「蹴倒す」という言葉が原決定の説示するような場合をも意味するとすることには疑問がある(なお、確定判決は「蹴倒す」という言葉ではなく「足蹴りにして横転させ」と判示しており、この点でも原決定が使用した言葉は正確さを欠く。)。また、当裁判所が実施した検証(第二回)の結果によれば、原決定が説示するような方法で本件ストーブを机に倒し掛けることができるのかについても大いに疑問があるといわざるを得ない。更に、たとえそのような方法で本件ストーブを机の脚に立て掛けることができたとしても、その後の燃焼の進行によって前方に転倒した本件ストーブが、火災現場で発見された時と同じ状態を保つことができるのかについても疑問がある。すなわち、G作成の実況見分調書の説明(確定記録一冊七二丁)及び同調書添付の写真六六号、六七号(確定記録一冊一五八丁、一五九丁)によれば、本件ストーブが本件火災現場で発見された時の状況は、補給タンクが給油中の状態にあり、裏蓋も開いていなかったことが明らかであるところ、C証言(昭和六〇年一〇月二九日七九項、八六項ないし八九項・本件記録二冊六〇三丁、六〇七丁、六〇八丁)及びC実験(本件記録三冊六七〇丁、七二一丁ないし七二三丁)によれば、ガードを外した同型ストーブを棒に立て掛けた後、静かに棒を外す実験を二回実施したものの、いずれも前方に転倒すると同時に裏蓋が開き、補給タンクがストーブ本体から外れたというのであり、また、当裁判所が前記検証(第二回)において実施した、同型ストーブが自力で前方に転倒する位置からの転倒実験(実験一、二)においても、同型のストーブが自力で転倒すれば、裏蓋が開き、補給タンクがストーブ本体から外れてしまったこと、しかも、このような結果は、本件ストーブを誤って転倒させた時の安全装置として設計されていると推測されることからすれば、原決定の前記説示に賛同することはできない。

しかしながら、右のとおり、確定判決の認定した本件放火の方法に合理的な疑いが生じたからといって、直ちに、C証言やC実験、更には当裁判所の前記検証等の新証拠が刑訴法四三五条六号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に当たるとはいえない。なぜなら、申立人が本件ストーブを「足蹴りにして横転させ」て放火したとの確定判決の判示は、前述した(第三の二参照)とおり、申立人が第一審裁判所において事実を争わなかったことなどから、確定判決が、申立人の前記警察官調書及び前記各検察官調書に従って本件放火の方法を認定、判示したにすぎないものであって、申立人が本件ストーブを移動させた後机の脚が燃えるように接着させた状態で置いた旨のFの前記各供述を否定した趣旨であるとまでは解されないからである。したがって、前記新証拠が、刑訴法四三五条六号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に当たるといえるためには、申立人が本件ストーブを故意に転倒させ、その火を机等に燃え移らせて放火したとの事実について合理的な疑いを生じさせる必要があると考えられる。

なお、所論は、Fの供述には変遷があり、その信用性には疑問がある旨主張する。確かに、Fの供述をみると、前述した内容のもの(第三の二参照)のほか、「二人の男を電気のコードで縛ったり、殴ったり、首を絞めたり、ナイフを刺したりし、燃えているストーブをひっくり返して逃げた」旨(自首調書・確定記録四冊七七四丁)、「申立人が本件ストーブのガードを取り外して机の脚の下に持って行き、燃えている方を接着させたが、そのころFが広告用紙を部屋一杯に撒き散らした」旨(昭和四一年一二月一三日付け警察官調書・確定記録四冊八一五丁)、「申立人が本件ストーブのガードを取り外して約一メートル離れた机のところまで運んで来て机の脚に付けて置いた」旨(同月一四日付け警察官調書・確定記録四冊八二八丁)述べたものがあり、これらFの各供述の間には、同人が手袋を本件ストーブに投げ入れた時期・同人がカタログ等を部屋に撒き散らした時期・申立人が本件ストーブを移動させた時期の前後関係のほか、申立人が本件ストーブを置いた細部の状況等に変遷があることは所論指摘のとおりである。しかしながら、Fは、同人が手袋を本件ストーブに投げ入れた事実・同人がカタログ等を部屋に撒き散らした事実・申立人が本件ストーブからガードを取り外した後に机の側まで移動させ机の脚に接着させるように置いた事実があったことについては、一貫して供述していた上、当時Fは、申立人とともに、Eらに対して激しい暴行を加え現金等を強取するなどした直後であって、相当興奮した状態にあったと考えられることからすれば、Fが右各事実の前後関係や、申立人が本件ストーブを置いた細部の状況等について必ずしも明確な記憶を有していなかったからといって、その供述自体の信用性が失われるとは考えられない。次に、Fの供述を他の証拠と照らし合わせてみると、同人は、昭和四一年一二月一〇日に山口県宇部警察署に自首する直前、雇い主のRやSらから事情を聞かれた際、「強盗事件を起こして店を出る時、申立人が店のストーブを倒して油を出して火をつけ、お前もつけろと言われたので、私も火をつけた」旨述べていた(Sの警察官調書・確定記録二冊三三三丁)上、同署の警察官に対しても、前記自首調書のとおりの供述をしていたこと、この時捜査を担当していた福岡県博多警察署がマルヨ無線に強盗に入った犯人に対してかけていた容疑の内容は、強盗致死、同未遂の被疑事実であったこと(同月九日付け捜査報告書・確定記録二冊三一九丁以下)からすれば、本件放火については、Fが自ら進んで供述したものと考えられる上、このことは、同人の同月一三日付け警察官調書の記載(確定記録四冊八一五丁)からも窺うことができる。また、本件放火の方法等に関するFの供述を更に詳しくみると、警察官による当初の取調べ時の供述、その後の検察官による取調べ時の供述、更に、申立人が逮捕された同月二七日以後の取調べ時の供述と、三つの時期においてその内容に微妙な違いがあることが看取されるところ、このうち、申立人が逮捕された以後のFの供述は、それまでの供述に比べ、主として申立人の供述と食い違っている内容について曖昧なものとなっていることからみて、恐らく申立人の供述を基に取調べ官から追及された結果、その供述に動揺が生じてきたためと考えられること、他方、警察官による当初の取調べ時の供述とその後の検察官による取調べ時の供述の食い違いは、取調べ官の認識の違いを微妙に反映しているにすぎないものと考えられることからすれば、Fの供述に前記のような変遷があるからといって、申立人が本件ストーブを故意に転倒させ、その火を机等に燃え移らせて放火した旨述べるFの供述の基本的部分の信用性が否定されるとは考えられない。

ところで、弁護人は、Fの弁護人に対する一九九四年一一月五日付け陳述録取書を当裁判所に提出した上、その内容は、申立人が本件ストーブを動かしたのを見た記憶はない旨、逃げ出すときに再度本件火災現場に戻って確認した記憶はない旨、本件火災のことは事件の翌日新聞を買って初めて知った旨、警察官の取調べは聞かれたことに対して「はい」と答える形で進んだ旨等を供述するものであって、Fの前記各警察官調書及び前記各検察官調書の内容と大きく食い違っており、これら各調書の記載は信用できない旨主張するが、前述した(第三の二参照)のように、同人は、第一審裁判所の第一回公判期日における裁判長の質問に対して、無理な取調べはなかったし、自ら進んで述べた旨供述していただけでなく、Fの前記各警察官調書及び前記各検察官調書の内容は、本件火災現場で放火行為に及んだ点をも含め、具体的かつ詳細である上、同人が供述しなければ取調べ官において到底知り得ないような内容をも多く含んでいること(例えば、申立人が本件ストーブを転倒させて逃走する際、申立人に言われて再度本件火災現場を確認したところ、机が燃え始め煙が出ていたとか、Eは床の上に座り込んでおり、Iはうなっていたとか、その出がけにタバコのハイライト位の大きさのトランジスタラジオ一台を店頭から盗んだといった内容[昭和四一年一二月一一日付け警察官調書・確定記録四冊七九八丁]は、Fが供述しない限り取調べ官において誘導できるとは考え難い。)、これに対し、Fの弁護人に対する陳述は既に事件から二八年近く経過した後になされたものである上、その内容も「記憶がない」という程度のものであることからすれば、右陳述録取書が、Fの前記各警察官調書及び前記各検察官調書の信用性を左右するとは考えられず、所論は採用できない。

四  以上の検討結果によれば、確定判決の趣旨に反せず、かつ、その証拠構造に矛盾しない本件放火の方法としては、申立人が本件ストーブを故意に転倒させ、その火を机等に燃え移らせて放火したと考えるのが相当である。この点に関して、原決定は、〈1〉「本件ストーブが当初からその状態(「前面扉を床面に接した状態で静止している状態」を指すと理解できる。)に静かに置かれたか」あるいは〈2〉「前傾状態で何らかの物(例えば机の脚等)に倒し掛けたところ、その後ストーブ自体の重さや、立て掛けた物の燃焼の進行により次第に傾斜を深めていき、前面扉を床に接する状態になったところで止まったか」のいずれかであると推認できる旨説示しているが、このうち、〈2〉の方法には疑問が残るといわざるを得ない。すなわち、前述した(第三の三参照)ように、本件ストーブが前方に転倒した場合には、裏蓋が開き、補給タンクが外れてしまうと考えられるのであって、本件火災現場で発見された時の状況に符合しない事態が生じる可能性が大きい。しかも、当裁判所が実施した各検証の結果によれば、本件ストーブの前面扉には厚さ約一・二ないし一・六センチメートルのToshibaの文字の入ったプレート(以下「プレート部分」という。)が付けられているため、本件ストーブが、前面扉のプレート部分を床面に接着させるようにして前傾した姿勢(以下「前傾姿勢」という。)をとって静止しているのは、やや不安定な状態であり、ストーブが前傾を深めていけば、前傾姿勢を通り越して完全に前方に転倒した状態になるのが一般であると考えられる上、本件ストーブが立て掛けた物に沿って都合よく滑り落ち、前傾姿勢をとる可能性もさして大きいとはいえない。更に、後述するように、本件ストーブの前面扉に付着していた溶融痕は本件火災の初期の段階にできたものと考えられることをも併せ考慮すると、原決定が説示する〈2〉の方法を全面的に支持することはできない。

これに対し、原決定が説示する〈1〉の方法については、当裁判所も正当として是認することができる。すなわち、このような方法については、申立人が本件ストーブを故意に転倒させ、その火を机等に燃え移らせて放火した旨の申立人及びFの各供述と矛盾しないだけでなく、原決定も説示するように、本件火災発生当時本件ストーブが前傾姿勢をとっていたことを裏付ける証拠も存在するからである。なぜなら、D鑑定書(確定記録三冊四七二丁)には、「石油ストーブが火災当時転倒していたかどうかについては機関部の合金製カム(ダイヤルツマミを回転することによってそれに連結されたカムが上下運動し燃焼塔へ給油量を調節する)及び連結桿止め(以下「バルブストッパー」という。)が熱のため溶けてその一片が別添写真第四号に示すように正面点火扉(以下「前面扉」という。)の網目に流れ込んでいることから、これら三点を結ぶ直線が床面に垂直になるように、即ち、点火扉が床面に対して接するように前方に傾いていたものと認める」旨の記載があるところ、B証言(昭和六一年六月一七日四〇項ないし四四項・本件記録五冊九〇八丁、九〇九丁)、同人作成の鑑定書乙(六頁ないし八頁、一五頁ないし二一頁)及び当裁判所における各検証の結果等により認められる次の各事実、すなわち、〈1〉本件ストーブの前面扉の網目部分の右端(本件ストーブの正面に向かって右、左という。以下同じ。)には、ストーブの油量調節機構の部品で亜鉛を主成分とする合金で作られたカム及びバルブストッパーが溶融して生じたと認められる溶融痕の存在が認められること、〈2〉右溶融痕が付着していた位置は、本件ストーブが前傾姿勢をとった時に、カム及びバルブストッパーの取り付け位置のほぼ鉛直線上(真下)にくる上、本件ストーブには、その中間に位置する油量調節機構の部品上にも、カム及びバルブストッパーが溶融して生じた溶融合金が付着していること、しかも、〈3〉本件ストーブが前傾姿勢をとって静止しているのはやや不安定な状態であって、火災の進行中に本件ストーブが偶然そのような姿勢をとることは考え難い上、カム及びバルブストッパーが溶融して流下ないし滴下するなどし前面扉の網目部分に付着する状況が生じたのは、本件火災の初期の段階であったと考えられること、これに対し、〈4〉本件ストーブの背面及び側面を両手で持ってすれば、本件ストーブを前傾姿勢で静止させることは十分可能であることによって、D鑑定書の前記記載の正当性はほぼ裏付けられたと考えることができる。

ところで、所論は、本件ストーブを使用して放火しようとするなら、足で蹴倒すなどの行為に出るか、手を使うにしても、そのままストーブを前方に転倒させるのが通例であり、しかも、本件は、強盗の現場において、証拠を隠滅し、Eらを殺害する目的で放火したとされている事案であって、極度に興奮し冷静さを失っていた上、ストーブを転倒させれば裏蓋が開いて補給タンクが外れてしまい火災が発生しないとの予備知識のない者が、細心の注意を払って、燃焼中のストーブを前傾姿勢に静かに置くと考えるのは不自然である旨主張する。

確かに、相当興奮した状態にあって普段の平静さを失っていると考えられる強盗犯人が、証拠隠滅等のために燃焼中のストーブを利用して放火しようとする際には、足や手を使って、その場でストーブをひっくり返すという行動に出るのが通例であると考えられる。また、本件ストーブを完全に前方に転倒させた場合には、裏蓋が開き、補給タンクが外れてしまう結果、ストーブ本体の受け皿に入っている灯油が燃える程度で、確実に火災が発生するとはいい難い状況にある上、そのような予備知識のない者が、わざわざ意識して、燃焼中のストーブを不安定な状態にある前傾姿勢に置くという行動を採る可能性が乏しいことも、恐らく所論が主張するとおりであると考えられる(なお、T[以下「T」という。]の昭和四一年一二月一二日付け警察官調書[確定記録三冊六一七丁]によれば、本件ストーブはマルヨ無線で販売したものであり、また、申立人の昭和四二年一月六日付け警察官調書[確定記録四冊六九〇丁、六九二丁]によれば、申立人も昭和三八年八月から翌三九年四月ころまでの間マルヨ無線で働いていたことがあったことからすれば、申立人が前述した予備知識を有していた可能性もないとはいえないが、そのことを明確に認めるべき証拠は存在しないから、以下、申立人がそのような予備知識を持っていなかったことを前提に論を進める。)。しかしながら、Fの前記各供述(第三の二、三参照)によれば、申立人は、燃焼中の本件ストーブのガードを取り外した上、わざわざTの机の脚のところまで約一メートル位抱えてきて、机の脚が燃えるように置いたというのであるから、まず、申立人は両手を使って本件ストーブを転倒させたものと認めることができる。次に、机の脚という目標物にストーブの火を燃え移らせるためにストーブを前方に転倒させる時の状況を考えるに、本件ストーブは、当時燃焼中であった上、その重量も決して軽いものではなく、両手で楽にその姿勢を制御できるような状況にはなかったことからすれば、まず、机の脚からストーブ本体の高さ程度の距離だけ手前のところに一旦ストーブを置き、その後ストーブの底板の前面部分を床に接着させて回転軸とし、ストーブの後方を上に持ち上げて机の脚に立て掛けるようにしながらストーブを前方に傾斜させ、ストーブ本体の反射板上部の角が机の脚に当たったら、その反射板上部の角を机の脚に当てたまま下に滑らしていき、ストーブを床面に接着させるという行動を採るか、あるいはこれに近い行動を採るものと考えられる。そして、このような行動に出た場合には、ストーブの反射板上部の角が机の脚に支えられる格好になるため、ストーブは机の脚が邪魔になって完全に前方に転倒することができず、床面に接着した時には前傾姿勢の状態で静止するものと考えられる。したがって、本件ストーブに関する前記の予備知識がなく、また、当初から本件ストーブを前傾姿勢に置くことを意識しないで行動しても、結果的に本件ストーブが前傾姿勢をとることは十分有り得ると考えられるのであって、所論には賛同できない。

その上、B証言(昭和六一年六月一七日四五項ないし六七項・本件記録五冊九〇九丁ないし九一三丁)、鑑定書乙(八頁ないし一六頁、写真一三号、同一四号、同二二号ないし同四二号)、当裁判所の検証(第二回)の結果等の関係証拠を総合すれば、前傾姿勢をとった本件ストーブから火災が発生した経過は次のとおりであったのではないかと推測することができる。すなわち、〈1〉本件ストーブを前傾姿勢に置いた場合、受け皿に入っている灯油が漏れ出して燃え上がるものの、この時の補給タンクの状態は、ストーブ本体から外れてしまう場合と、給油中の状態をそのまま維持している場合とがあるが、本件火災現場で発見された時の状況からすれば、本件ストーブは、後者であったと考えられる。しかも、その場合でも、補給タンクから灯油が漏れ出すかどうかは、補給タンクの中に残っている灯油の量如何にかかっており、全く灯油が漏れ出さない場合もあり、本件火災現場での焦げの状態からすれば、補給タンクからの漏油はほとんどなかったものと考えられる。次に、〈2〉受け皿から漏れ出した灯油の一部はストーブの中で燃焼するため、油量調節機構の各部品はその熱を多く受けるほか、補給タンクもその熱を受け補給タンクの中に残っていた灯油は活発に気化すると考えられる(C証言昭和六〇年一〇月二九日一〇八項、一一五項ないし一一九項・本件記録二冊六一六丁、六二二丁、C実験中、転倒燃焼実験〈1〉の写真一九号、同二〇号・本件記録四冊七三八丁)。しかも、〈3〉鑑定書乙(七頁)、C証言(昭和五八年一〇月七日三一項・本件記録二冊三四〇丁)によれば、カム及びバルブストッパーが溶融する融点は摂氏約三八〇度と比較的低いのに対し、灯油が燃える時の温度は摂氏約一二〇〇度前後であることからすれば、カム及びバルブストッパーは、本件ストーブが前傾姿勢に置かれ、受け皿から漏れ出した灯油が燃焼した時に溶融を開始して割れたり、流下ないし滴下すると考えられる。他方、〈4〉本件ストーブが前傾姿勢に置かれ、かつ、補給タンクが給油中の状態を維持していた場合には、受け皿から漏れ出た灯油の燃焼で熱を受けた補給タンク内の灯油は、活発に気化するとともに、補給タンク内の圧力の高まりによって、受け皿の中に収まっている補給タンクの口金キャップ(給油中の状態にあるため口金キャップのバルブはスタットで中に押し込まれたままである。)から外に漏れ出した上、周辺の酸素を含んだ空気と混じり合い、燃焼に適した混合比に至った時に燃焼を開始し(鑑定書乙九頁、一〇頁)、その火が側にあった机に着火して本件火災が発生した、と考えることができる。

五  ところで、所論は、本件火災発生当時本件ストーブが前傾姿勢にあったとする原決定に対し、るる主張するので、この点について検討する。

1  まず、所論は、原決定は「本件ストーブの前面下にある網目状の扉の右端に近い部分に、ストーブの内の油量調節機構の部品で亜鉛を主成分とする合金で作られたカム及びバルブストッパーが溶融して生じたと認められる付着痕(以下「溶融痕」という。)が存在」すると認定し、その根拠として「D鑑定書中には溶融合金が前面扉の網目に流れ込んでいる旨具体的に記載されている」ことと「同鑑定書添付写真第四号を検討しても右(写真に写っている)針金状の棒は滴下の方向を示すために添えられているに過ぎないこと」を指摘しているが、本当に「溶融合金が前面扉の網目に流れこんでいる」のであれば、溶融合金は網目の穴に食い込むような状態(裏側から見れば、霜柱状に網目から合金が滴下したような状態)となり、これを容易に離脱させることはできないのに、本件ストーブを写した消防署員U(以下「U」という。)撮影の写真九号(V作成の昭和四二年四月二日付け実況見分調書添付のもの・本件記録一冊六四丁)には、明らかに網目から離脱した溶融合金が写っていることからすれば、D鑑定書添付の写真四号(確定記録三冊四七七号)に写っている溶融合金は、C証言が主張するとおり、本件ストーブの前面扉に付着していたものではなく針金状の棒によって支えられているにすぎないとみるべきである旨主張する。

そこで検討するに、本件ストーブについては、確定判決を下した裁判所に証拠として提出されなかった上、同判決が確定した後である昭和四六年四月一七日に廃棄されている(裁判所職員作成の電話聴取書・本件記録七冊一三六一丁)ため、直接これを見て確認することができず、当時撮影された写真によって、溶融合金の付着の有無を検討する以外に方法がないところ、所論指摘のU撮影の写真九号をよくみると、本件ストーブの前面扉の網目部分右端にカム及びバルブストッパーが溶融してできたと考えられる溶融合金(以下「溶融合金甲」という。)の付着を認めることができ、その大きさを網目の数で数えると、縦七個、横八個分である。他方、D鑑定書添付の写真二号(確定記録三冊四七五丁)は、右ストーブの前面扉を立てた状態にして撮影しているところ、右写真においても、前面扉の網目部分右端に、網目の数で横八個分の溶融合金(以下「溶融合金乙」という。)が付着していることが認められる(なお、右写真二号のピントは多少甘いものの、同写真には溶融合金乙の右隣にも、網目の数で横九個分の溶融合金[以下「溶融合金丙」という。]の付着が認められる。)。更に、原決定が指摘するD鑑定書添付の写真四号に写っている溶融合金をみると、前面扉の網目部分に大きな塊が二個あり、右端のもの(以下「溶融合金丁」という。)が網目の数で縦七個位、横七個位、その右隣のもの(以下「溶融合金戊」という。)が縦九個位、横一〇個位である。そして、少なくとも、右三枚の写真に写っている、前面扉の網目部分右端に付着している溶融合金甲、溶融合金乙及び溶融合金丁は同じものと考えられる上、その形態は網目を型どったような特異な形状をしていることが看取できることからして、これらの溶融合金は網目部分に流れ込んで付着しているものと認めることができる(他方、前記U撮影の写真九号には、網目部分に付着している溶融合金甲のほかに、前面扉近くのストーブ本体の底面部分に、剥離したように見える溶融合金らしきもの[以下「溶融合金己」という。]が写っているところ、その形状は、D鑑定書添付の写真二号及び同四号に写っている溶融合金丙及び溶融合金戊と同じもののように見える。しかも、D鑑定書添付の写真一号ないし同四号はほぼ同一時期に撮影されたものと推測されるところ、右写真一号に写っている本件ストーブの前面扉の上には木炭様のものが多数散乱しているところ、その数は、U撮影の写真九号に写っているそれよりもかなり多いこと、また、右写真一号の背景には本件火災現場と思われる室内の様子が撮影されていることをも考え併せると、D鑑定書添付の写真一号ないし同四号は、U撮影の写真九号よりも早い時期に撮影されたものと推認することができ、U撮影の写真九号に写っている溶融合金己は、D鑑定書添付の写真二号及び同四号に写っている溶融合金丙及び溶融合金戊がその後何らかの事情によって剥離したものと考えることができる。なお、所論は、網目部分に付着した溶融合金が容易に剥離しない旨主張するが、溶融合金が付着した時の温度やその量、付着するに至った経過、その場所等の違いによって付着の形態やその強さ等にも違いが生じると考えられる上、そのような溶融合金を剥すことが不可能であるともいえないことからすれば、D鑑定書添付の写真二号及び同四号に写っている溶融合金丙及び溶融合金戊が、その後何らかの事情で剥離したと考えることが不当であるとはいえず、所論には賛同できない。)。そうすると、所論指摘のU撮影の写真九号によっても、本件ストーブの前面扉の網目部分右端に溶融合金が付着していたと認めることができるから、原決定の説示に誤りはない。これに対し、D鑑定書添付の写真四号に撮影されている、本件ストーブ前面扉の網目部分右端にある溶融合金は針金状の棒で支えられている旨のC証言(昭和六〇年二月二八日三三ないし四九項・本件記録二冊五二二丁ないし五三一丁)は、その内容自体特異な見解である上、D鑑定人がわざわざそのようなことをしなければならなかった理由も窺われないこと、また、右写真に写っている針金状の棒の先端は溶融合金戊の左上付近にあることからすれば、そのような場所を押えることによって溶融合金戊の落下を防止できるか疑問があることに照らすと、到底採用できない見解といわざるを得ず、所論には賛同できない。

2  次に、所論は、原決定が、本件ストーブの前面扉にあった溶融合金の「付着痕の位置は、本件ストーブの前面扉部分が床面に接するようにして前傾横転した状態に置いた場合に右カム及びバルブストッパーの位置のほぼ鉛直線上(真下)に来る」と認定しているが、〈1〉同型ストーブの構造図(鑑定書甲添付資料1の「東芝小型石油ストーブサービスノート」二六頁に記載されているもの)を使って同型ストーブを前傾姿勢に置いた状態を想定し、カム及びバルブストッパーの位置から鉛直線を下ろした場所は前面扉の上半分にある金属部分にくるのに対し、本件ストーブの溶融痕が付着していた場所は前面扉の下半分にある網目部分であって、ずれがある旨、また、〈2〉鑑定書乙及び当裁判所における検証(第一回)の結果によれば、三台の同型ストーブを前傾姿勢に置いた時の角度には約五・五度の開きがあるから、原決定がいうように、「本件ストーブ内のカム及びバルブストッパー付近の温度が融解点に達した際には、本件ストーブは右のように前傾横転した状態にあった」と断定することはできない旨、更に、〈3〉鑑定書乙における燃焼実験では、カム及びバルブストッパーの溶融合金が付着したのはストーブの前面扉の網目部分ではなかったことからすれば、原決定のようにいうことはできない旨、主張する。

そこで検討するに、当裁判所の検証(第一回)において、同型ストーブ二台を前傾姿勢に置き、錘を使ってカム及びバルブストッパーの位置から鉛直線を下ろした場所を調べたところ、その場所は、いずれも前面扉の網目部分の下部右端を中心としたところにあって、右検証の結果は、鑑定書乙の内容にほぼ符合しているだけでなく、U撮影の写真九号、D鑑定書添付の写真二号及び同四号に写っている溶融合金甲、溶融合金乙及び溶融合金丁が付着していた網目部分の場所にほぼ当たっていたことからすれば、所論指摘の原決定の説示に誤りはないと考えられる。ところで、所論は、同型ストーブの構造図を用いた場合には、カム及びバルブストッパーの位置から鉛直線を下ろした場所は前面扉の上半分にある金属部分にくる旨主張するが、右検証の結果によれば、同型ストーブは、ストーブ本体の左右二箇所に取り付けてあるバネを底板の該当箇所に掛けることによって底板をストーブ本体に取り付ける仕組みとなっているため、底板を取り付けたままでストーブを前傾姿勢に置くと、このバネの部分が伸び、底板を水平にした時に想定される姿勢よりも、ストーブ本体が前方に傾いた姿勢をとること、しかも、右バネの弾力性はストーブの使用頻度等によって異なっており、その弾力性が弱くなってくるに従い、前傾姿勢に置いたストーブ本体の傾斜角度が浅くなってくる関係から、カム及びバルブストッパーの位置から鉛直線を下ろした場所は、前面扉の下方に下がってくることが認められる。したがって、底板を取り付けた同型ストーブを水平に置いた状態を示している前記構造図を用いて、カム及びバルブストッパーの位置から鉛直線を下ろした場所を求めたにすぎない所論は、原決定の説示を左右するものとはいえない。また、鑑定書乙及び当裁判所の右検証の結果によれば、三台の同型ストーブを前傾姿勢に置いた時の角度に差異が生じていることは所論指摘のとおりであるが、その原因は、既に述べたように、底板をストーブ本体に取り付けるバネの弾力性の強弱によるものと考えられること、しかし、ストーブを前傾姿勢に置いた時にストーブが最も前方に傾斜するのは、バネが伸びきった時であって、それは底板を外してストーブ本体だけを前傾姿勢に置いた時とほぼ同じであると考えることができることからすれば、所論指摘の差異を考慮に入れても、原決定の説示に誤りがあるとはいえない。したがって、〈1〉、〈2〉に関する所論はいずれも採用できない。

更に、〈3〉の点についていえば、鑑定書乙における燃焼実験をみるに、バルブストッパーの溶融片は、ストーブ前面扉の上半分にある金属部分に滴下しており、他方、カムは、ひび割れした半溶融状態でその取り付け箇所の近くにあるフレームにひっかかっていたことが認められる(一一頁、一二頁、写真五一号ないし同五六号)が、右実験は、延焼等の危険があって途中で中止されたため、そのまま燃焼を継続させれば更に溶融の度合を増していくと考えられるカムが、その後流下ないし滴下してどの場所に付着するのかまでは明らかになっていないこと、他方、鑑定書乙(六頁、七頁、添付の写真一六号、同一七号)及びD鑑定書添付の写真二号及び同四号によれば、本件ストーブの油量調節機構の一部にもカム及びバルブストッパーの溶融合金と考えられるものが付着しており、その場所は、右実験でひび割れした半溶融状態のカムがひっかかっていた場所とほぼ同じところであること、また、鑑定書乙(一五頁)では、カムがこのまま溶融を続けていれば、流下ないし滴下してその一部が前面扉の網目部分に付着すると予測していることからすれば、右実験の結果から、同型ストーブを前傾姿勢に置いた状態でカム及びバルブストッパーが溶融しても、その溶融合金が本件ストーブの溶融痕の場所に付着することがないとはいえず、〈3〉に関する所論も採用できない。

3  また、所論は、原決定が、「当初本件ストーブが直立したままの状態で火災が発生し、火災の進行中に右ストーブが落下物等の影響で転倒し、その後にカム及びバルブストッパーが溶融した可能性の有無についても、念のため検討するに、本件ストーブが前面扉を床面に接する形で転倒している状態は、前面扉の面積が小さいこと等からしてやや不安定な状態であると認められるが、落下物等の影響で前向きに転倒したとすると、転倒の勢いにより、通常は、前面扉を床面に接するような不安定な状態のままで静止することなく、それを通り越して更に前のめりになる状態になるまで転倒すると考えられるし、すでに床上には二階や屋根からの種々の落下物により凹凸や傾斜の生じていることも考えられ、これらの場合に前面扉の前記部分とは異なる部位に合金の溶融付着痕を生ずることとなるのがほとんどであるということができ、したがって、右のように落下物等によって初めて転倒を生じた可能性はほぼこれを否定することができる」旨説示しているが、火災進行中の落下物や消火活動等の作用により本件ストーブが転倒したことが考えられるとしても、火災現場においては、落下物の内容、落下時期、落下位置等を予測することはできないから、落下物等による本件ストーブの転倒状況を推測するのは極めて困難であって、このことは、U撮影の写真八号(本件記録一冊六五丁)に写っている本件ストーブの右側面部には、油量調節用のダイヤルツマミ焼失時の炎上痕が残っていて、その方向からすれば、ダイヤルツマミが炎上した時の本件ストーブの姿勢は斜め後方に傾斜していたとしか考えられないのに、なぜそのような姿勢をとったのかを具体的に説明できないことからも明白であって、結局、原決定のように、カム及びバルブストッパーの溶融痕の付着状況やその位置から本件火災発生当時の本件ストーブの状況や姿勢を説明することはできない旨主張する。

確かに、本件火災進行中の落下物や消火活動等の作用によって本件ストーブがどのような姿勢をとっていたかを正確に推測することは困難であると考えられる上、所論指摘の炎上痕からすれば、本件ストーブが一時期後方に傾斜していた可能性を否定することもできない。しかしながら、所論指摘の原決定の説示は、本件ストーブの前面扉の網目部分右端にカム及びバルブストッパーの溶融痕ができるためには、本件ストーブが前傾姿勢を保っていたことが必要であると考えられるところ、本件ストーブが火災進行中の落下物等の作用によってその姿勢を様々に変化させていたとしても、本件ストーブが前傾姿勢をとった時の状態はやや不安定であって、火災進行中の落下物等により本件ストーブがそのような前傾姿勢を保つ可能性はほとんどないといえるから、本件ストーブの前面扉の網目部分右端にカム及びバルブストッパーの溶融痕が付着したのは、本件火災の初期の段階においてしか考えられないとする趣旨であると理解される。そして、前述した(第三の五の2参照)ように、鑑定書乙(七頁、添付写真一六号、同一七号)及びD鑑定書添付の写真二号及び同四号によれば、本件ストーブの点火装置の一部にもカム及びバルブストッパーの溶融合金の付着が認められるところ、カム及びバルブストッパーの位置と右溶融合金が付着していた位置、更にストーブ前面扉の網目部分に付着していたカム及びバルブストッパーの溶融痕を結んだ線が鉛直線上にくるのは、本件ストーブが前傾姿勢をとった時であること、しかも、本件ストーブがそのような前傾姿勢をとった時の状態は極めて不安定であって、本件ストーブが偶然そのような姿勢をとる可能性は低いと考えられること、更に、鑑定書乙(七頁)、防火管理の知識(四〇〇頁、四〇一頁・本件記録五冊一〇六八丁)、C証言(昭和五八年一〇月七日三一項・本件記録二冊三四〇丁)によれば、カム及びバルブストッパーの溶融温度は摂氏約三八〇度と割合低いのに対し、木材の引火温度は摂氏約二五〇度ないし二六〇度、木材の発火温度は摂氏約四〇〇度以上、木造火災の時の温度は摂氏約一二〇〇度ないし一三〇〇度、灯油が燃焼している時の温度は摂氏一二〇〇度前後であると認められることを併せ考えると、カム及びバルブストッパーが溶融して流下ないし滴下したのは、本件火災の初期の段階においてであったと考えられる。このことは、燃焼している同型ストーブを前傾するように転倒させたC実験や鑑定書乙における燃焼実験の結果においても、ストーブの転倒によって受け皿から漏れ出した灯油が短時間燃焼しただけでも、カム及びバルブストッパーが溶融して割れたり落下したりしていることによってもある程度裏付けられていると考えられる。これに対し、本件火災の進行中に本件ストーブが当初置かれていた姿勢を変えたのは一定の重量のある落下物の衝突や消火活動等によるものであるが、そのような落下物等が本件ストーブに衝突するのは本件火災がある程度進行した後にすぎないと考えられること、また、本件ストーブが所論指摘の炎上痕から推測される姿勢を取っていた可能性があるとはいっても、その時は本件ストーブの背面に一定の落下物が存在していなければならず、それは本件火災が相当進行した後のことと考えられることからすれば、所論指摘の事情を考慮しても、本件ストーブの前面扉の網目部分右端にカム及びバルブストッパーの溶融痕が付着していたことから、本件火災発生当時本件ストーブは前傾姿勢をとっていたと認定することができると考えられるのであって、所論に賛同することはできない。

4  更に、所論は、原決定が、本件火災現場から発見された「本件ストーブは約四五度くらいに傾斜しており、完全に転倒した状態になかったこと」について、「これは、すでに右のように前面扉を下にして転倒していた状態にあった本件ストーブが、火災の進行により二階や屋根からの落下物の影響を受けたり、場合によっては消火作業の影響を受けたりした結果、最終的に約四五度の状態になったもの(倒れていたのが落下物の影響で立ち上がり、更に再び落下物の上に倒れかかったということもありうる。)と認めるのが相当である」と説示している点について、火災の進行に従って本件ストーブ自体が動くほどの落下物があったとすれば、既に床面にも大小の落下物があって、本件ストーブの底板が床面に密着した状態になるはずはないのに、G作成の実況見分調書によれば、本件ストーブが本件火災現場で発見された時、その底板は倒れないで床面に密着した状態にあったというのであるから、原決定の説示は誤りである旨主張する。

しかしながら、右実況見分調書(確定記録一冊七二丁)には、本件「ストーブの受皿(「底板」を指す。)はそのままの状態で倒れていない。」と記載されているだけである上、同調書添付の写真六六号ないし同六九号(確定記録一冊一五八丁ないし一六一丁)によれば、本件ストーブが本件火災現場で発見された時、その底板の下にも落下物が入り込んでいることが明らかであるから、本件火災進行中底板が常に床面に接着した状態にあったとして原決定を論難する所論は、その前提を誤った主張というほかない。そして、本件ストーブが、本件火災進行中の落下物等の影響でその姿勢を変え、本件火災が鎮火した時には、床上にあった落下物のため約四五度位に傾斜した姿勢をとっていたと考えられることは、原決定が説示するとおりであって、所論は採用できない。

5  所論は、原決定が、「本件ストーブの外側の塗料は焼けて変色しているのに対し、前面扉のアルミニウム製のプレートのToshibaの文字の塗料部分(以下「東芝の文字」という。)のみが焼燬していない」事実について、東芝の文字が焼燬を免れているのは、「本件ストーブが前倒しの状態に置かれ右プレートの部分が床面に接する状態が続いていたため、その部分が直接強い熱を受けるのを免れたことを示していると見ることができるのであって、この点もまた、本件ストーブが立ったままの状態で火災になったのではないことを窺わせる」旨説示していることに関し、本件火災現場の床面には燃焼の痕跡がほとんど見られないことからして、床面に近いところは全体として熱の影響を受けていないと考えられるから、床面より一〇センチメートル以下の高さにある東芝の文字が焼燬を免れていたからといって、本件ストーブが立ったままの状態ではなく、東芝の文字を床面に接するような前傾姿勢を継続していたと結論付けることはできない旨主張する。

D鑑定書によれば、本件ストーブの前面扉のプレート部分にあった東芝の文字が焼失を免れていたことが明らかであるところ、それは、東芝の文字の周囲が溶融温度(C証言昭和六〇年二月二八日五一項・本件記録二冊五三一丁によれば、純粋のアルミニウムの溶融温度は摂氏六六〇度である。)を超えるほどの高熱にさらされなかったことを示すにすぎず、そのことから直ちに、本件火災発生当時本件ストーブがどのような姿勢を保っていたかまでをも推測することができないことは所論指摘のとおりである。しかしながら、D鑑定書等によれば、本件ストーブの右側面に取り付けてあった油量調節用のダイヤルツマミが焼失していることが認められるところ、右ダイヤルツマミは前面扉のプレート部分とほぼ同じか少し低い高さにあったことからすれば、少なくとも本件火災の際、プレート部分とダイヤルツマミとが同じような状況で熱を受けたものでないと一応推測されること(但し、ダイヤルツマミの溶融温度は不明である。)、しかも、鑑定書乙における燃焼実験(一五頁、添付写真五七号)によれば、同型ストーブが前傾姿勢で火災中に放置された時も東芝の文字が焼失を免れていたことをも併せ考えると、原決定が、「プレートの文字の塗料部分が焼燬を免れているのは、本件ストーブが前倒しの状態に置かれ右プレートの部分が床面に接する状態が続いていたため、その部分が直接強い熱を受けるのを免れたことを示していると見ることができる」と説示した点は、本件火災発生当時本件ストーブが前傾姿勢にあったことと矛盾しないという趣旨においては、誤りとはいえず、所論に全面的に賛同することはできない。

六  次に、所論は、原決定が、C証言及びC実験は「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に当たらない旨説示したことに対し、るる主張するので、この点について検討する。

1  所論は、まず、原決定が、漏油に関するC証言について、「漏油があれば床面の焦げの状態が本件で認められるよりも強くなければならないというが、床に張られていたタイル状の板の表面の材質や加工状態いかんによっては、焦げにくいものであった可能性もあるから、床面の焦げの状態が乏しいということから、同証言のように直ちに油漏れがなかったということにはならないし、漏油の量いかんによっては、必ずしも床面が強い焦跡をとどめるほど焼燬されるものということもできず、また、前記G作成の実況見分調書には油彩反応検査を実施した旨の記載がない以上、C証言のように本件火災現場に油彩反応がないとして漏油がなかったとすることもできない」旨説示しているが、〈1〉本件火災現場の床面に張られていたのは、普通の合板で、ある程度の年数靴で踏みつけられるなどして表面が劣化していたと考えられる上、そのような床面に漏れた油が一旦燃え上がれば、床面は高温に熱せられ、焼けほげるように焼燬するか、またはそれに近い焦げ跡が残るのが通常であって、このことはC実験や鑑定書乙における燃焼実験でも、床面に著しい焼燬の痕跡が残っていたことによって実証されている旨、また、〈2〉本件のように、石油ストーブを使用した放火が疑われている火災現場での捜査では、油彩反応検査を実施しないとは考えられないから、G作成の実況見分調書に油彩反応の記載がないことは、本件火災現場から油彩反応が検出されず、したがって、漏油もなかったと考えるべきである旨、主張する。

そこでまず、〈1〉の点について検討するに、本件火災現場の床面の状況については、G作成の実況見分調書に「セメントの上に一五センチ四角の木細工板が張ってある」旨の記載がある(確定記録一冊六九丁)だけであって、床板の材質、難燃性の有無、その表面の状況、更には床面の傾斜の有無等についても、これらを明らかにする証拠は全く存在しない。ただ、C証言(昭和五八年一〇月七日三一項・本件記録二冊三四〇丁)によれば、灯油の燃焼時の温度は摂氏一二〇〇度前後になるというのであるから、本件ストーブが転倒し、ある程度まとまった量の灯油が床面に漏れ出して燃え上がれば、恐らく所論が主張するように、床面には広い範囲で焦げの痕跡が残るものと考えられる。しかしながら、本件火災発生当時において、本件ストーブの補給タンクにどの程度の灯油が入っていたのかを確定する証拠は存在しない(Tの昭和四一年一二月一二日付け警察官調書[確定記録三冊六一八丁]中には、同人がWから、本件火災発生の直前である同月五日午後九時ころIが石油ストーブに灯油を入れていた旨の話を聞いたとの記載があるものの、これを裏付けるWの供述はなく、その真偽のほどは明らかでない上、G作成の実況見分調書中にも、本件火災現場で本件ストーブが発見された時の補給タンク内の灯油の量を計測したとの記載も存在しない。)。他方、B証言(昭和六二年五月二九日一六項ないし一九項・本件記録六冊一一〇七丁)及び鑑定書乙(一四頁)によれば、補給タンクに〇・八リットル以下の灯油しか入っていない場合には、たとえ同型ストーブを前傾姿勢に置き、かつ、その時補給タンクの口金キャップが受け皿の中に収まったままで給油中の状態であったとしても、同型ストーブの構造上、補給タンク内の灯油が外に漏れ出すことはないことが認められる。そうすると、本件火災発生当時本件ストーブがそのような前傾姿勢に置かれたとしても、常に多量の灯油が漏れ出したと断言することはできず、場合によっては、ストーブ本体の受け皿に入っていた灯油が漏れ出したにすぎなかった可能性もあるところ、その場合には、受け皿から漏れ出した灯油の中には床面まで達しないでストーブ本体の中で燃焼するものもあると考えられるから、床面の上で燃焼する灯油の量はさして多くなく、床面に強い焦げの状態を残さないで燃え尽きてしまう可能性も否定できない(なお、C証言[昭和六〇年一〇月二九日一五項ないし二〇項・本件記録二冊五七五丁ないし五七八丁]及びC実験[本件記録三冊六六七丁]によれば、同型ストーブの受け皿の容量には、七八ミリリットルのものと二八〇ミリリットルのものの二種類があるというのであるが、本件ストーブの受け皿がそのどちらの種類であったかは明らかでない。)。

他方、本件火災が鎮火した直後の床面の状況を撮影したG作成の実況見分調書添付の写真七一号ないし同七四号、同八四号ないし同九〇号(確定記録一冊一六三丁ないし一六六丁、一七八丁ないし一八三丁)、検察事務官作成の昭和六〇年一〇月二九日付け捜査報告書添付の写真八号(本件記録四冊七八〇丁)を子細に検討すると、本件ストーブが発見された付近の床面には、焼燬した痕跡あるいはそれに近い焦げの痕跡とみることができる部分が撮影されており(例えば、同調書添付の写真七二号・確定記録一冊一六四丁参照)、その広さは、本件火災現場の床に張られてあった木細工板の二枚分弱程度あることからすれば、その部分に本件ストーブの受け皿から灯油が漏れ出して燃焼し、その痕跡をとどめていると考えることもできる。

なお、所論は、C実験及び鑑定書乙における燃焼実験の結果も、本件ストーブから漏油がなかったことを実証している旨主張するが、C実験においてストーブ本体の受け皿から漏れ出した灯油だけが燃焼した時の床面の焦げの状態は、本件火災現場の床面の焦げの状態と比較しても必ずしも強いとはいえないこと、他方、鑑定書乙における燃焼実験では、燃え落ちた机の破片等によって床面に残された焦げの状態は、本件火災現場でほとんど焼け落ちたTの机の下の床面の焦げの状態と比較してもはるかに強いことからすれば、右実験で使用された床板の状態と本件火災現場の床板の状態とが同じであったと考えるには疑問があること、また、右実験後の床面には同型ストーブの前面扉が接着していた部分に長方形の焦げ跡ができているところ、右焦げ跡はストーブ本体の受け皿から漏れ出した灯油が前面扉の金網等を通して床面に滲み出し燃焼してできたものと考えられるところ、床面の傾斜の有無や床板の状態いかんによっては、受け皿から漏れ出した灯油が滲み出す場所にも違いがあり、必ずしも右実験の結果どおりになるとは限らないことを併せ考えると、C実験及び鑑定書乙における燃焼実験の結果が、所論の主張を実証したということはできない。

以上のとおり、床面の焦げの状態は、本件ストーブから漏れ出した灯油の量や床面の状況いかんによって違いが生じると考えられるから、本件火災現場の床面に焦げの痕跡がそれほど多くなかったからといって、C証言が述べるように、本件火災発生当時には漏油がなく、したがって、本件ストーブは直立した状態にあったと断言することはできない(なお、本件ストーブを前傾姿勢に置いた時に受け皿から漏れ出した灯油が一旦燃焼した後、その熱によって気化した補給タンク内の灯油が再び漏れ出して燃焼する場合には、床面の上に漏れ出した灯油が燃焼する時とは異なり、それほど床面に焦げの痕跡を残さないと考えられるから、この燃焼による床面への影響については余り重視する必要がないといえる。)。所論は採用できない。

また、〈2〉の点についていえば、所論が主張するように、石油ストーブを使用した放火が疑われている火災現場では油彩反応検査を実施するのが一般的な捜査方法であるとしても、G作成の実況見分調書中に右検査を実施した旨の記載がない以上、本件火災現場での実況見分においても右検査が実施されたはずであるとはいえない。しかも、Gらは、右実況見分の際、転倒していた本件ストーブの状況をわざわざ復元して写真を撮影していること(同調書添付の写真七四号・確定記録一冊一六六丁)からすれば、同人らが、本件火災現場の状況から、火災の原因は本件ストーブが転倒したためであると速断し、油彩反応検査までは実施しなかった可能性も否定できないことをも考え併せると、所論のように、本件火災現場では油彩反応が検出されず漏油もなかったと考えるべきであるとはいえず、所論は採用できない。

2  次に、所論は、原決定がG作成の実況見分調書添付の写真によっても、C証言が床面の一部に変色を免れている部分であるとする箇所は明確でないと説示していることに対し、同調書添付の写真七二号の中央付近に写っている、床板が剥れた場所の左上部には明らかに変色を免れている部分が認められるし、写真八四号(確定記録一冊一七八丁)では、右部分をもってわざわざ「ストーブの位置」と指示していることからすれば、原決定の右判断は不当である上、右変色を免れている部分は、本件火災の進行中本件ストーブの底板がその部分を覆っていたために生じたもので、本件火災発生当時本件ストーブがその位置に直立していたことを示すものである旨主張する。

そこで検討するに、右調書添付の写真七二号ないし同七四号に写っている、床板が剥がれてコンクリート面が露出している場所の南東部分に当たる床面の状態は、その回りの床面の焦げの状態と対比して、変色を免れているのではないかと見られる上、写真八四号では右場所が「ストーブの位置」と指示されていることが明らかであるところ、C証言(昭和五八年一〇月七日一三項・本件記録二冊三二九丁ないし三三三丁)によれば、ストーブが直立したまま燃焼すれば、熱を通さない鉄製の底板が置かれていた床面は熱による影響を受けないで焼け残るというのであるから、右変色を免れた部分には本件火災発生当時本件ストーブが直立していたのではないかとの疑問があり得ないわけではない。しかしながら、右調書添付の写真六六号ないし同六九号によれば、本件火災が鎮火した直後の本件ストーブの状況は、ストーブ本体が底板から完全に分離している上、底板の下にも落下物が挟まっていることが看取できるのであって、底板が本件火災の継続中常に床面に接していたとはいえない。しかも、当裁判所が実施した検証(第一回)の結果によれば、同型ストーブの底板の大きさは、横幅約四二センチメートル、奥行き約三八センチメートルであって正方形に近いところ、右写真七二号に写っている変色を免れたと見られる部分の大きさは、細長い長方形をしている上、本件火災現場の床板一枚の大きさが一五センチメートル四方であること(同調書の説明・確定記録一冊六九丁)と対比すれば、本件ストーブの底板の半分くらいの大きさしかないと認められる。したがって、所論が主張する変色を免れた部分があるからといって、それが本件ストーブの底板が置かれてあった場所であるとはいえず、本件火災発生当時右場所に本件ストーブが直立していたとするC証言や所論は採用できない(なお、底板が何時本件ストーブから分離したのか明らかでないが、そのような分離が生じた後は、ストーブ本体から分離した底板が床面に近いところにあって、熱が床面に到達するのを妨げたため、底板の下にある床面が他の床面よりも少ない熱の影響しか受けず、変色を免れたと考えることもできるし、その際、床面と底板との間に落下物が挟まっていた可能性も否定できない。そうすると、本件ストーブがあったと考えられる床面に変色を免れた場所が存在するからといって、そのことから直ちに、本件ストーブが本件火災発生当時その場所に直立していたと推認することはできない。)。

3  所論は、また、原決定は、C証言が「本件ストーブの背面反射板には煤の付着が乏しいが、転倒した状態では不完全燃焼により煤が反射板に広く付着するはずである、と指摘する点についても、B作成の鑑定書乙による実験の結果のみならず、C『実験』の添付写真によっても、転倒状態での燃焼により必ずしも反射板に煤の付着が生ずるものではないことが明らかである」旨説示しているが、鑑定書乙添付の写真四六号、同五〇号、同五七号を見ても、反射板下部には煤の付着や付着した煤が剥がれた跡が認められる上、右各写真に写っているストーブの反射板上部は、煤が燃えたためと考えられる熱変色も著しいから、原決定の判断は不当である旨主張する。

そこで検討するに、本件ストーブを、その焼けの状況を識別できる程度に撮影した写真としては、G作成の実況見分調書添付の写真六六号(確定記録一冊一五九丁、背面から撮影)、福岡県警察本部刑事部鑑識課技術吏員X作成の昭和四二年一月一六日付け写真撮影報告書添付の五枚目の写真(確定記録二冊二九八丁、背面からカラーで撮影)、D鑑定書添付の写真一号(確定記録三冊四七四丁、正面から撮影)、消防士V作成の実況見分調書添付の写真八号、同九号(本件記録一冊六四丁、六五丁、左側面及び正面から撮影)しか存在しないため、本件ストーブの焼けの状況を正確に確認することはできない。しかし、これらの写真と鑑定書乙添付の写真四六号、同四八号、同五〇号、同五七号、同五八号、同六〇号とを比較すると、むしろ本件ストーブの反射板により多くの煤が付着しているのではないかとも考えられる上、D鑑定書添付の写真一号によれば、本件ストーブの反射板上部に熱変色が生じていたことも看取できる。また、C証言(昭和五七年一〇月七日一五〇項ないし一五二項・本件記録二冊四〇一丁、四〇二丁)によれば、煤が一旦ストーブの反射板に付着しても、その後煤自体が燃焼することも十分あり得る上、煤が燃え出す温度は摂氏約三五〇度であること、他方、鑑定書乙(一一頁)及びC実験の写真(本件記録四冊七四二丁、七六五丁ないし七六八丁)によれば、同型ストーブを前方に転倒させて燃焼させても、漏れ出した灯油の量が少なければ、必ずしも反射板に多量の煤が付着するわけではないと認められることからすると、原決定の判断が不当であるとはいえず、所論は採用できない。

4  更に、所論は、原決定は、「そもそも本件はストーブを倒したことのみによる放火ではなく、パンフレット類を同時に撒いて行ったことによるものと認定されているところ、その場合には、単に漏油による火力のほかパンフレット類が燃焼する火力も存在するのであって、その火力が加わるうえに、これらによる炎や熱が残存する間に、タンク内に残留する灯油が加熱されて気化漏出しこれに引火して大きく燃え上がる可能性も、前記B作成の鑑定書乙により認められるのであるから、請求人(「申立人」を指す。以下同じ。)及びFの自白のような形態により放火をすることは十分可能であるといわなければならない。C証人の見解は、ストーブの火がパンフレット類に燃え移ることによる火力を全く考慮していないものであるから、この点においても採用しがたい」旨説示しているが、〈1〉本件再審請求においては、申立人らが放火するためにパンフレット類を本件火災現場に撒いたこともないとの前提で確定判決を争っているのであるから、原決定はその前提を誤っている旨、〈2〉本件火災現場の床面の状況からみても、パンフレット類の燃焼によって本件火災の状況が特に異なった様相を呈したということは考えられないし、本件火災現場に複数の火元があったことを窺わせる状況もなく、パンフレット類の燃焼は火力の増強因子としてはほとんど無視してよいと考えられる旨、また、〈3〉補給タンク内の灯油が気化漏出する可能性は極めて低い上、灯油を気化させるためには莫大な量のパンフレット類を燃焼させる必要があり、本件火災ではそのような状況は存在しなかったのであるから、原決定の右判断は不当である旨、主張する。

そこでまず、〈1〉の点について検討するに、本件再審請求における主張が所論のとおりであるとしても、C証言及びC実験だけで本件火災発生当時の本件ストーブの姿勢や火災発生の経過を確定することができない以上、確定判決が本件放火の方法として認定した事実に対して合理的な疑いを生じさせない限り、C証言及びC実験をもって、刑訴法四三五条六号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に当たるということはできない。そうすると、確定判決が本件放火の方法として認定した内容、すなわち「Fが同事務所内の棚に積み上げられていた商品のカタログ紙を多数取り出して同室内一面にまき散らし」たことを前提にしても、なおかつ本件火災発生当時本件ストーブが転倒していたとするには合理的な疑いがあるとの主張をしない限り十分とはいえない。原決定はこのような趣旨で前記説示をしたものと理解することができるから、所論には賛同できない。

次に、〈2〉及び〈3〉の点についていえば、原決定は、Fが本件火災現場に撒き散らしたパンフレット類が燃えたために火力の勢いが増し大きく燃え上がったという状況を考えているのではなく、その趣旨とするところは次のようなものであると理解できる。すなわち、鑑定書乙における燃焼実験において、燃焼中の同型ストーブを机の脚の近くの床面に前傾姿勢で放置したところ、約二分三〇秒後にはストーブ本体の受け皿から漏れ出した灯油の燃焼が小さくなったものの、ストーブ内部からシュ ー、シューと音がして、補給タンク内の灯油がガス状になって気化漏出し、約六分五七秒後に突然右ガスに引火して燃え上がるという現象が起きたこと(B証言昭和六一年六月一七日五四頁ないし六一項・本件記録五冊九一〇丁以下)を前提にした上で、確定判決の認定事実のように、本件ストーブの周辺にパンフレット類が撒かれていたとすれば、本件ストーブの受け皿から漏れ出した灯油が燃焼した時近くにあったパンフレット類にも火が移り、これらの火力も加わって補給タンク内における灯油の気化が促進されるとともに、補給タンクから漏れ出した気化した灯油に容易に引火した可能性もあり得るとする趣旨である。したがって、所論は、原決定の右趣旨を正解しない批判にすぎず、採用できない(なお、補給タンク内の灯油が気化漏出する可能性が十分あり得ると考えられることについては、第三の四で述べたとおりである。)。

5  また、所論は、原決定は、「C『実験』及びC証言によると、本件火災は、ストーブが直立したままの状態において、何らかの原因によりストーブが異常燃焼をし、それが机に燃え移ったことによると考えられる、というのであるが、もともと安全を考慮して設計されている器具の性質からして、異常燃焼(高く炎が立ち上がるような燃え方)に移行するには通常何らかの特別な原因がなければならないうえ、異常燃焼した炎が机に着火するには、少なくとも炎や熱の影響を直接受けることとなるような接近した位置に本件ストーブが置かれていなければならない。しかし、店員らが本件ストーブをそのような危険な状態で使用していたとは考えられないし、被告人(「請求人」の誤記と認める。)らのいずれかが何らかのはずみであれ、殊更ストーブを机の方に押しやったことを窺わせるような事情も見いだされないのであるから(なお、請求人及びFの捜査段階及び公判段階における供述内容には、ストーブが直立状態で異常燃焼を生じていたことを窺わせるような弁解・供述は全くない。仮に殺害行為後請求人らが手袋を燃やしたことにより異常燃焼が生じそれがそのまま発火につながったというのであれば、その状況や炎が机に燃え移るおそれについて認識していなければならないはずであるが、このような弁解・供述のなされた形跡もない。)、異常燃焼による発火をいうところは、それ自体可能性に極めて乏しいというべきである。しかも、B作成の鑑定書甲によると、布製手袋をストーブの燃焼筒の上に置いたり、燃焼筒をずらせたりすることにより生ずる異常燃焼によっては、傍らの机に燃え移る可能性は極めて低いとの実験結果が得られている。したがって、異常燃焼により出火した可能性はほぼこれを否定することができる」旨説示しているが、〈1〉本件ストーブは修理品として客より委託され、修理後試験を兼ねて使用されていたものであり、しかも、その修理箇所が芯の部分であったことは、本件ストーブに異常燃焼が生じた可能性を窺わせるものであり、Fが本件ストーブに手袋一双を投げ入れたことも異常燃焼の原因となり得るし、更に申立人らが本件ストーブの脇でEらを突き飛ばすなどして燃焼筒がずれた可能性もあることからすれば、本件ストーブが相当時間異常燃焼を起こしたとみるべきである旨、また、〈2〉本件ストーブは机と机の間の狭い空間に置かれていた上、申立人らがEらともみ合った際にストーブが移動した可能性も大きいから、本件ストーブが机にほぼ接触するような位置にあったことも考えられる旨、更に、〈3〉鑑定書甲における実験は、わずか一回だけのものである上、C実験では、一双の手袋を燃焼筒に投げ入れて異常燃焼させただけで机への着火が認められていることからすれば、異常燃焼の態様、室内の条件、机の乾燥状況、本件ストーブと机の位置関係等によっては、机に着火する可能性は十分にあったというべきであって、原決定の判断は不当である旨、主張する。

そこでまず、〈1〉の点について検討するに、所論は、本件ストーブが異常燃焼を起こした原因となり得る事情を種々挙げているが、関係証拠を検討しても、それらの原因が、本件火災発生当時、本件ストーブに対し、その火が傍らにあった机に着火するほどの異常燃焼を生じさせたものとは考えられない。すなわち、Eの昭和四二年一月六日付け検察官調書(確定記録二冊三九〇丁)、Tの昭和四一年一二月一二日付け警察官調書(確定記録二冊六一五丁)、Yの同月五日付け警察官調書(確定記録二冊六五六丁)によれば、本件ストーブは、修理のため客から預かり、事件の前日である同月四日に修理が終わって本件火災発生当時は試運転をしていたものであるが、実際には事件当日である同月五日の朝にも本件ストーブを使用していたことが認められる上、Eの供述中には申立人らが強盗に押し入るまでの間に本件ストーブが異常燃焼を起こしたことを窺わせる事情は全くないことからすれば、本件ストーブが修理品であったことが原因で異常燃焼を起こした可能性を考えることは困難である。また、Fが本件火災現場において本件ストーブに手袋一双を投げ入れたことは間違いないものの、鑑定書甲における実験(一一頁ないし一三頁、写真二三号ないし同三二号)によれば、手袋をストーブ燃焼筒の上に置いて燃焼させても、ストーブの上方約三〇センチメートルの地点で、瞬間的に摂氏約一七五度に達したことはあるが、大体高くても摂氏一三五度程度であって、木材の引火点である摂氏約二五〇度ないし二六〇度に比べるとはるかに低温であったことが認められること、しかも、Fの供述中には、手袋を本件ストーブに投げ入れたことが火災の原因になったことを窺わせるような事情は全く存在しないことからすれば、同人が本件ストーブに手袋を投げ入れたことによって傍らの机に着火した可能性も考え難い。更に、鑑定書甲における実験(一五頁ないし一八頁、写真四四号ないし同六一号)によれば、燃焼筒の右端が約五ミリメートル浮き上がった場合ストーブの上方三〇センチメートルの地点で最高摂氏約一〇〇度まで、燃焼筒の右端が約一五ミリメートル浮き上がった場合右地点で最高摂氏約八五度まで、燃焼筒が約一一ミリメートルずれた場合右地点で最高摂氏約八〇度までしか温度が上昇しなかったこと、しかも、申立人及びFの供述のほか、Eの供述によっても、同人やIが申立人らに抵抗してもみ合いとなったことを窺わせる事情は存在しないこと、なお、申立人らがマルヨ無線に押し入った当初、申立人がEをIのいた場所にまで突き飛ばしたことは認められるが、その時の状況について述べた申立人らの供述中にも、Eが本件ストーブと接触したことを窺わせる事情は全く存在しないことからすれば、本件火災発生当時本件ストーブの燃焼筒がずれるような事態が発生していたとは認め難い上、仮にそのような事態が発生していたとしてもそのことが原因で机に着火した可能性を考えることは困難である。しかも、C証言(昭和五八年一〇月七日一一一項ないし一一三項・本件記録三八〇丁ないし三八三丁)によれば、机に着火するには、炎が少なくとも二、三分間位直接机に当たる必要があるというのであるが、本件火災が発生する直前にそのような事態が起きたことを窺わせる事情も存在せず、所論には賛同できない。

次に、〈2〉の点についていえば、既に述べたように申立人らとEらがもみあったことを窺わせる事情は存在しないから、所論は前提を欠く主張といわざるを得ない。その上、G作成の実況見分調書添付の第五図(マルヨ無線一階の見取図・確定記録一冊八三丁)や同調書添付の写真六六号等によれば、本件火災が鎮火した時、本件ストーブは、Iの机のすぐ西側でTの机の北西角に向かって接近して存在していたことが認められるところ、本件ストーブが、火災の進行中の落下物等によって多少移動していたとしても、その位置及び向きに大きな変動があったとは考え難いのに対し、Eの昭和四一年一二月六日付け警察官調書(確定記録二冊三五六丁)によれば、申立人らがマルヨ無線に強盗に押し入る前、E及びIは本件ストーブを囲み座って話をしていたというのであるから、その時の本件ストーブの位置及び向きはI及びTの机に背中を向けた状況にあったと考えられるのであって、本件ストーブが発見された時の状況と明らかに異なっているというほかない。しかも、仮に所論主張のように、申立人らとEらとの間でもみ合いがあったとしても、本件ストーブが本件火災現場から発見された時のような向きにまで回転するとは考え難く、所論には賛同できない。

更に、〈3〉の点についていえば、鑑定書甲における前記各実験の結果は、確かに一回の実験で得られたものにすぎないとはいえ、その後同様の実験を繰り返したからといって、その結果が右各実験の結果と大きく異なるとは考え難いから、そのような各実験の結果を利用することが不当であるとはいえない。また、所論指摘のC証言(昭和六一年三月一八日九七項ないし九九項・本件記録五冊八七四丁、八七五丁)は、ストーブに色々な種類の手袋を投げ入れて机に着火するかどうかの実験を何度かやってみたが、その結果、「ストーブが机の下にやや入り込む形になって、放熱ネットが机の前縁、一番前のへりから二、三センチメートル以内にまで近づかないと火がつかない」ということが分かり、結論的には手袋を燃焼筒の上に置いただけでは机に直接火はつかないだろう、という内容のものであって、このように本件火災現場とは明らかに異なる態様による事例を参考にすることはできず、所論は賛同できない。

そのほか、本件火災が本件ストーブの異常燃焼によって発生したとする所論については、次の二つの事情から考えても賛同できない。すなわち、所論が主張する本件火災の原因は、本件ストーブを通常の用法に従って使用していた最中に何らかの原因によって異常燃焼が生じ、傍らにあった机に燃え移ったというものであるが、G作成の実況見分調書によれば、本件ストーブのガードは、Eの机の北西下土間に上部を北西方に向けて落ちていた上、その場所は、本件ストーブが発見された場所とはE、Z、W、Iの机を挟んだところにあること(確定記録一冊七三丁、写真七〇号・確定記録一冊一六二丁)からすると、右ガードは、誰かが故意に本件ストーブから取り外して右場所付近に移動させたとしか考えられず、このことは、本件ストーブを通常の状態で使用していた最中に異常燃焼が生じて火災が発生したとする所論とは整合しない。また、Fの昭和四一年一二月一三日付け警察官調書(確定記録四冊八一四丁)、昭和四二年一月一三日付け警察官調書(確定記録四冊八八二丁)、昭和四一年一二月六日付け捜査報告書(確定記録一冊五五丁)、同月一二日付け捜査報告書(確定記録二冊三四一丁)、P作成の昭和四二年三月二二日付け鑑定書(確定記録五冊一一二六丁)等の関係証拠によれば、申立人及びFがマルヨ無線に強盗に押し入ったのは昭和四一年一二月五日の午後一〇時ころであり、その後申立人らが同店から逃げ出し、四・五〇〇メートル走ってタクシーに乗って時計を確認した時の時刻は午後一〇時二二分であったこと、他方、タクシー運転手aが、マルヨ無線の北側に位置する五〇メートル道路を瀕死の重傷を負って歩いていたEを発見し、すぐ近くの福岡県博多警察署奈良屋派出所の警察官に届け出たのが同日の午後一〇時二〇分ころであったこと、他方、マルヨ無線及びその付近で火災が発生した旨の一一〇番通報があったのが、同日の午後一〇時二五分ころであったこと、しかも、Eの身体には火傷など本件火災にあったことを窺わせる傷等はなく、同人は、申立人らがマルヨ無線から逃げ出してからそれほど時間が経たないうちに同店から外に出たと考えられることからすれば、申立人らがマルヨ無線から逃げ出した時刻と本件火災が発生した時刻とは相当接近していることが明らかであって、そのような時刻に本件ストーブが異常燃焼を起こして机に着火したと考えるのは余りに偶然すぎるといわざるを得ない。

七  その他、所論がるる主張する内容に鑑み、記録を精査し、申立人らが新証拠として援用するC証言及びC実験等を他の全証拠と総合的に評価しても、いまだC証言及びC実験等の新証拠が、確定判決の認定した放火に関する事実について合理的な疑いを抱かせ、その認定を覆すに足りる蓋然性ある証拠ということはできないから、それらが刑訴法四三五条六号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に当たらないとした原決定に誤りはなく、論旨は理由がない。

第四  本件再審請求中刑訴法四三五条六号の事由に関する主張の適格性について

本件再審請求は、確定判決が申立人に対し有罪判決を宣告するに当たって認定したIに対する強盗殺人、Eに対する強盗殺人未遂、現住建造物等放火の各犯罪事実のうち、放火の事実について申立人に刑訴法四三五条六号の事由がある旨を主張するにすぎないところ、確定判決は、右の各所為は「一個の行為で三個の罪名に触れる場合であ」って刑法五四条一項前段の観念的競合の関係に立つとした上で、「犯情の最も重いIに対する強盗殺人罪の刑によって処断する」として申立人を死刑に処しているため、本件再審請求が、刑訴法四三五条六号の主張としての適格性を有するのかについても検討しておく必要がある。

この点に関し、原決定は、「刑訴法四三五条六号が無罪の証拠のみならず、『原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき証拠』についても再審請求を許容している趣旨に照らせば、確定判決中の科刑上一罪のうち相当重大な比重を占める罪が無罪となるような証拠については、主文において無罪の言渡をすべき場合には当たらないものの、少なくとも『原判決において認めた罪よりも軽い罪を認めるべき』証拠に該当するものと解するのが相当である」として、本件再審請求の適格性を認めている。しかしながら、前述した(第一の二参照)ように、刑訴法四三五条六号にいう「原判決において認めた罪より軽い罪」とは「原判決が認めた犯罪よりその法定刑の軽い他の犯罪」をいうことからすれば、同号にいう「原判決において認めた罪」は単一の罪を意味すると解されるのであって、原決定のように、科刑上一罪となる罪全体(本件についていえば、強盗殺人、同未遂、放火の各犯罪事実の全体)を指すと解することはできないといわざるを得ない。

むしろ、科刑上一罪は実体法上はあくまでも数罪と考えられていること、他方、再審制度は、確定判決が認定した犯罪事実に誤認があったことを理由に救済を求める手続であることからすれば、確定判決における些末な事実誤認についてまで再審の請求を認める必要性に乏しい反面、科刑上一罪のように、実体法上は数罪と解されているものについては、その一部の罪について無罪の主張をする機会を与えてその救済を図る必要があると考えられること、更に、刑訴法四三五条六号は、「有罪の言渡を受けた者に対して無罪を言い渡」すべき場合には再審を請求することができる旨を規定しているものの、ここでいう「無罪」の言渡しが判決主文においてなされる必要があるとまでは明示されていないと解することができることからすれば、同号は、科刑上一罪の一部の罪について「無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見したとき」にも再審の請求をすることを許容していると解するのが相当である。そうすると、本件再審請求の適格性を認めた原決定は、その理由付けはともかく、結論においては正当であって是認することができる。

以上のとおり、本件即時抗告は理由がないから、刑訴法四二六条一項後段により棄却することとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 池田憲義 裁判官 川口宰護 裁判官 林秀文)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例